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CIAと読売新聞と日本テレビと・・・。


「小沢事件」のポイントは、東京地検特捜部の「暴走」問題から、世論調査による情報操作という大新聞やテレビなどの駆使する方法、いわゆる情報メデイアの政治性という問題に移りつつあるといっていいが、そこで、僕がもっとも興味をそそられ、最近、徹夜で熟読し、感動した書物が、『日本テレビとCIA…発掘された「正力ファイル」』(有馬哲夫著、新潮社、2006/10/20)だったと言っていいが、この書物を読んだことのある人と読んだことのない人とでは、新聞やテレビに対する考え方には、思想的に大きな落差が出てくると思われる。それは、ネット情報に接している人とネット情報から切断され、新聞やテレビの一方通行的な情報にしか接していない人の、物の考え方の違いに似ているといえるかもしれない。ところで、昨夜は、日大芸術学部の「日芸マスコミ研究会」に呼ばれ、小さな講演会を開いたのだが、参加していただいた人たちは、ほとんどがかなりの「ネット派」と思われ、ということはつまりほぼ全員が「東京地検特捜部」「マスコミ」に批判的で、要するに「小沢擁護派」の人たちであって、講演会の前は、「小沢批判」の狂信的なネット右翼が紛れ込んでいて、場合によっては不穏な空気になるのではないかと少し心配だったのだが、心配するほどのことはなく、和やかに、楽しく話ができたし、その後の質疑応答やディスカッションの時間も、そしてまたその後の「飲み会」も、とても知的で愉快な時間をすごすことが出来た。あらためて参加してくれた方々に感謝します。さて、僕が、昨夜、話したことの中心は、『日本テレビとCIA…発掘された「正力ファイル」』に書かれているような、米国CIAと日本メディアの関係性という問題だった。主に日本テレビと読売新聞、そしてその中心人物、正力松太郎を取り上げたのだが、別に他意はなく、「CIA文書正力松太郎ファイル」という具体的な証拠資料があり、陰謀論でも妄想の類でもないことが確実だったからである。おそらく他の新聞やテレビも大同小異と言っていいのではなかろうか。ともあれ、僕は、やはり、「小沢事件」は、この本に書かれているような問題、つまり、新聞やテレビに対する米CIAの「対日心理戦」という問題にまで立ち戻って考えなければならないと思う。敗戦直後の米軍による情報統制については、江藤淳の『閉ざされた言語空間』があり、ほぼ明らかになっているといっていいが、サンフランシスコ講和条約以後、つまり米軍占領が終わり、名目的には日本が独立した後のメディアの問題は、つまり、保守合同がなり、「55年体制」が開始して以後における米CIAの「テレビによる永続的日本支配の野望」は、この書物を読まない限り、真相は分からないだろうと思う。テレビ放送開始後の日本の一般庶民の生活は、映画『三丁目の夕陽』が、面白おかしく描いていたが、テレビの登場の目的が、実は、米CIAによる「テレビによる永遠的日本支配の野望」にあったことは、おそらく誰も知らない。しかし、テレビも新聞も、まつたく当てにならないと言うこと、つまりテレビも新聞も、日本国民の方を向いていないと言うことが分かった今回の「小沢騒動」は、一挙にその真相を、日本国民の目前に暴露したと言っていい。たとえば、読売・日テレは、何故、新聞テレビの先頭に立って、熱心に、且つ終わることなく執拗に「小沢たたき」に狂奔するのか。日テレのニュース番組「バンキシャ」のコメンテーター、元東京地検特捜部長の河上和雄は、「小沢不起訴」が確定したにもかかわらず、何故、性懲りもなく「小沢起訴」「小沢逮捕」を主張するのか。要するに、現在、必死になって「小沢たたき」をやっているテレビや新聞があったら、米CIAの影を疑ってみた方がいい、ということである。ちなみに読売新聞社主であり、「テレビの父」と言われた正力松太郎は、文字通り、米CIAの手先であり、その暗号名は「podam(ポダム)」であったことが、有馬哲夫早大教授が、ワシントンにある「国立第二国立公文書館」で発掘した「CIA文書正力松太郎ファイル」のなかにあることがわかっている。(続)


(続)『日本テレビとCIA…発掘された「正力ファイル」』を読む。

日本テレビは、正式には「日本テレビ放送網株式会社」というが、何故、「放送」ではなく「放送網」というのか、不思議と言えば不思議であるが、実は、この「網」という言葉の中に、日本テレビの設立が、どういう目的の元になされたのかを解く鍵が隠されている。日本テレビは、アメリカのCIA、国務省国防省等の肝いりで、共産主義拡大を防止することを最大目的として、韓国、日本、台湾、フィリピン等の太平洋ネツトワーク、そしてやがては、共産主義に対抗する世界ネットワークを築き上げるべく設立された「軍事通信網」の一つだったということらしい。そうであるが故に、現在の日本テレビは、娯楽やニュース報道中心の、東京中心のテレビ放送に特化しているにもかかわらず、いまだに「放送網」という言葉が、残っているということのようだ。「網」とは「ネットワーク」ということであり、そのネットワークは、反共の防波堤としての韓国、日本、台湾、フィリピンの「太平洋ネットワーク」を意味していたらしい。つまり日本テレビは、娯楽放送の装いを取りながら、軍事的な多重通信網の役割を重要な役割として兼ねながら出発したのである。そして同時に、その多重通信網は、敗戦後、七年間のアメリカ軍による軍事的占領を脱し、サンフランシスコ講和条約によって独立した日本に対して、軍事的パワーによってではなく、心理情報戦略によって再占領を実施し、占領状態を永続的に継続することを狙っていた。心理情報戦略による日本属国化の戦略は、最近のテレビや新聞の「検察依存」と「米国依存」の体質を見ていると、依然として機能しているといって間違いない。要するに、正力松太郎によるテレビの日本への導入は、巷間、伝えられている美しい物語、いわゆる日本の通信や文化、経済の発展のためにテレビを導入したという美談とは異なり、明らかにアメリカが、反共産主義の世界戦略の一環として導入させようとした、つまり政策として「仕組んだもの」だったことが、「CIA文書正力松太郎ファイル」の発見によって、実証的に証明されたと言っていい。有馬哲夫は、「CIA文書正力松太郎ファイル」を読み解いた上で、「中身にいたっては、CIAが極秘に正力を支援することを作戦とし、その実施のための必要書類の作成を命じたり、作戦に実施許可をあたえたりしたというものだった。」と書いているが、僕は、やはり、このことを、批判するにせよ肯定するにせよ、少なくともこの現実を、日本国民は知っておく必要があると考える。つまり、「正力松太郎によるテレビの導入」「街頭テレビ」「プロ野球やプロレスの中継」「アメリカ製テレビホームドラマの放映」・・・が、我々日本国民を、反米感情を持たないように、むしろ親米感情を持つように仕組まれていたことを知るべきである、と思う。そして、現実に、テレビの普及と共に、つまり60年安保を最後に、反米的な国民運動は盛り上がらなくなっていくのである。それは、日本にはるかにおくれたとはいえ、同じようにアメリカ方式のテレビを導入し、アメリカ大衆文化を娯楽として受け入れることを選択させられた韓国、台湾、フィリピンの、いわゆる反共の防波堤としての「太平洋ネットワーク」を形成する各国でも同様だった。共産主義勢力の拡大を防止すること、反米感情を押さえ込むこと、等を目的として導入されたテレビ、つまり日本テレビは、確実に成功したメディアといえる。有馬は次のように書いている。「アメリカは占領を終結させながらも、アメリカ軍を駐留させることで、日本を軍事的に再占領した。そして、日本テレビを含めあらゆるメディアをコントロールして心理戦を遂行する体制を築くことによって、日本を心理的に再占領した。そして最後の仕上げが保守合同による安定的な親米保守政権基盤の確立という政治戦による再占領だった。」(『日本テレビとCIA…発掘された「正力ファイル」』P300)

言うまでもないことだが、僕は米国情報機関の工作活動一般を批判しているわけでも否定しているわけでもない。多かれ少なかれ、どの国でもやっていることだろう。問題は、外国や敵国の工作機関の手先となり、日本国民を誤った方向へ先導すべく、つまり日本の国益をそこなうべくスパイ活動をさせられている、洗脳された日本人の存在である。戦前の日本にも「陸軍中野学校」を初めとして多くの情報工作活動に従事する日本人がいたわけで、日本と戦火を交え、戦争に勝ち、日本を軍事的に占領したアメリカ軍が、占領中も、占領終了後も、公然とであれ、非公然とであれ、なんらかの情報工作活動をおこなったであろうことは容易に想像がつくが、問題は、誰が、あるいはどの組織が、あるいはまた、何を目的に活動していたかである。たまたま、先日、アメリカで公開された秘密文書から、ロッキード事件におけるアメリカ側の情報公開に関して、中曽根康弘の名前が明らかになり、中曽根が日本側高官リストから自分の名前の「揉み消し」を依頼したことが暴露され、一部で大騒ぎになっているが、この事実からもアメリカの情報工作は、政府やマスコミの中枢にまで及んでいることがわかるであろう。言い換えれば、中曽根は、おそらく「揉み消し」てもらう代わりに、同時に、CIAに何かを依頼され、命令されていたであろう。というわけで、中曽根のその後の政治活動も、もう一度、再検討する必要があるだろう。戦後政治史上の最大の大事件であったロッキード事件の主役は、実は田中角栄ではなく中曽根康弘だったらしいことは、ひそかに囁かれてはいたが、証拠がなく、うやむやにされてきたわけだが、具体的な証拠となる文書が見つかったことで、明らかになったといっていいだろう。同じことが、正力松太郎にもいえる。正力も戦犯容疑で逮捕されていたが、簡単に釈放されている。正力か釈放された裏に、米軍占領軍、あるいはCIAとの間に何らかの「取引」があったことは明らかであるろう。つまり、CIAが、「心理的占領政策」を推進していく上で、「役に立つ男」「使える男」として、「メディア王」としての正力松太郎に目をつけたであろうことは容易に想像がつくというものだ。正力は、釈放後も公職追放になっていたが、こちらの方も、あっさり解除され、読売新聞社主に帰り咲いている。(続)



アメリカは「戦犯・正力松太郎」に好意的だった。



アメリカ国立第二公文書館に残っているGHQの「正力松太郎文書」を読み解いていくと、アメリカはかなり早い段階から、正力松太郎に対して好意的だったようだ、と有馬哲夫は書いている。それは、アメリカ側が、読売新聞の社主としての正力松太郎だけではなくて、それ以前に、思想警察として警視庁に勤務し、共産主義者無政府主義者を厳しく取り締まり、弾圧を繰り返してきた正力松太郎の前歴に深い関心を持っていたからだろう。つまり、アメリカが戦後の占領政策を進めていく上で、つまり日本人への洗脳工作を進めていく上で、「使える人材」として正力松太郎を評価していたということだ。したがって、正力松太郎は、戦犯として逮捕されていたが、GHQ諜報部のチャールズ・ウイロビー等の目的は、むしろ、戦犯として起訴することではなく、正力松太郎から日本の共産主義者たちの情報を聞き出すことにあった。そもそも正力松太郎の戦犯容疑とは何だったのだろうか。有馬は、調書資料等から推測して次の五点を挙げている。

①警視庁時代に共産主義者無政府主義者などを弾圧した。

②新聞を用いて三国同盟を支持するプロパガンダを広めた。

真珠湾攻撃の直前に記者に現地に電話取材をさせ、その情報を軍に通知した。

大政翼賛会など戦争遂行に協力したいくつかの団体の設立委員会のメンバーだった。

⑤1943年6月に内閣情報局参与に就任した。(『日本テレビとCIA…発掘された「正力ファイル」』P)

しかし、これら五点の戦犯容疑に関して、取調べに当った諜報部の結論は、「被告に対する告発は戦時中のプロパガンダを誇張したもので、思想的、政治的な性質を帯びており、具体的証拠によって裏付けられたものではない。明らかなのは、被告が政府の厳しい統制に屈せざるを得ない大新聞の社長であったという事実だけである。」(「正力松太郎調書」)というものであった。つまり、正力松太郎に対するこの告発は、読売争議の組合側の人間、鈴木東民等の告発にもとづくものだったらしいが、調書を作成した諜報部の将校たちは、組合側の告発をまったく信用していない。むしろ、組合側の告発を「戦時中のプロパガンダを誇張したもの」と看做し、相手にしていない。国際軍事裁判所でも、判事によるわずか二回の取調べの後、「非公式に放免」されている。この事実は、何を意味するのか。有馬哲夫は、こう書いている。GHQ諜報部のチャールズ・ウイロビーについて。

「ウィロビーが正力や児玉などの戦犯容疑者への尋問のあと何を要求したかは明らかである。それは諜報部のジヤック・キャノン中佐が鹿地亘を一年にわたって監禁し、アメリカのスパイになることを強要した事件からも察しがつく。(『日本テレビとCIA…発掘された「正力ファイル」』P)

かくして正力は、GHQとCIAの手先となり、「podam」というコードネームまで与えられることになり、そこでまず手始めに取り組んだ工作が、民間テレビとしては最初のテレビ局、日本テレビ創設であったが、日本テレビは、文字通り、正力松太郎とCIAを中心とする米国人脈と米国資金による合作であった、と言っていい。従って、日本テレビが、未だに米国情報機関の影響下にあり、親米的で、従米的であるのは、その創設の由来を探るまでもなく明らかである。日本テレビの報道番組「バンキシャ」のコメンテーターとして「小沢一郎批判」と「検察擁護」を執拗に繰り返している、テレビには不釣合いの「河上和雄」という人物が、何故、そこに座っているのか不思議だったが、ロッキード事件捜査の時、東京地検特捜部の検察官だった(『壁を破って進めーー私記ロッキード事件堀田力著)という過去を考えるならば、当然ということになるかもしれない。


日本テレビ」を創った「ジャパン・ロビー」の正体

日本テレビ」創設にかかわった人物は、CIA関係者を筆頭に実に多岐にわたっているが、その中に、あまり一般的には馴染みはないかもしれないが、「ジャパン・ロビー」と言われる米国人グループが存在したことが知られている。では、その「ジャパン・ロビー」とは、いったい、何ものなのか。その中核の人物は、誰なのか。戦前、約10年間、駐日アメリカ大使を務めたジョセフ・グルーが中心人物と言われ、ほかのメンバーは、グルーの右腕・ユージン・H・ドゥマン、あるいはグルーより前の駐日大使ウイリアムR・キャッスル、『ニューズウィーク』の海外レポーターのハリー・カーン…という人たちで、彼等は、戦前からの知日派で、長期の日本滞在を通じて日本の財閥や政治家、官僚に人脈を築くと同時に、アメリカの財界や政界、CIAにも影響力を持ち、戦後になると日本占領政策を左右するほどの力を持っていた。占領が終わった後も、吉田茂以後、影のキングメーカーとして日本政界に君臨し、政治的に大きな影響力を持つていたが、しかし実態はあくまでも民間人のグループであり、反共を旗印とする一種のシンクタンク的なボランティア・グループだった。彼らの目的は、戦前から一貫して、日本の共産主義化を防ぎ、日本を共産主義の防波堤とすることだった。従って、日本の満州進出にも反対ではなかったし、むしろ日本の満州建国が共産主義の膨張を満州で防止していたが故に、日本の海外膨張政策を擁護していた。つまり、彼等は、戦前から熱心に日米宥和を説き、開戦後も、早期停戦へ向けて様々な工作活動を、アメリカ政府に対して働きかけていた。要するに、日本への無知から日米開戦を決意し、原爆を投下したルーズベルトトルーマン等の報復的な対日政策に反対していた。マッカーサーを中心とする日本占領政策の中心勢力GHQグループとは、その思想を若干、異にしていたのである。言い換えれば、彼等は、天皇擁護派であり、「マッカーサーに圧力をかけ、彼に『逆コース』をとらせた政策集団」(有馬哲夫『日本テレビとCIA』P73)であり、もともと彼等は、日米開戦にも、公職追放財閥解体にも反対だったのである。つまり聖彼らの中心思想は、反共産主義であり、その政策は共産主義封じ込めであった。彼等が「日本テレビ」創設に熱心に協力したのは、日本テレビを通じて、日本国民に対して反共産主義の「対日心理戦」を仕掛けるためであった。しかし、彼らの究極の目的はアメリカの国益であり、アメリカの安全と平和であり、日本のそれではなかった。つまり、日本を、アメリカの国益と安全を守るための防波堤にすることが、彼らの最終目的だった。従って、彼等は、自分たちに不利益になることや安全が危機に瀕することになれば、たちどころに、それを排除し、弾圧するべくあらゆる人脈や資金を駆使し、工作活動をすることになる。おそらく、「政権交代」前後に起きた二度の「小沢事件」なるものは、彼らが危機感を強く抱いたが故に起こされた事件だったろう。日本国民の眼に、「検察の暴走」と「マスコミのリーク報道」が明らかになった今回の「小沢事件」は、同時に検察もマスコミも、未だに彼らの影響下にあることを示したと言わなければならない。