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森田実の言わねばならぬ[85]

2001年4月の小泉自民党総裁誕生の裏で中曽根元首相が動いたと冒頭に申し上げましたが、このとき中曽根は何をやったか。非常に巧妙に動きました。それ以前、中曽根は自分の支配している派閥の村上正邦派と森派から分裂した亀井静香派を握手させ、村上・亀井派をつくった。その後、この派は村上正邦が退いたあと江藤・亀井派になるのですが、真の統領は中曽根でした。
 自民党総裁選への立候補をめざして亀井は精力的に地方遊説に回っていました。この間に、中曽根は江藤・亀井派の議員に対して亀井を自民党総裁選から下ろす工作を行ったのです。その裏で小泉を勝たせる工作をしていた。その当時、私はある亀井側近を取材源にしていたのですが、亀井が地方遊説を終えて帰京したときには亀井静香支持は3人しかいかかったという。江藤・亀井派の大多数が中曽根の工作を受けて亀井を総裁選から下ろす方向に変わっていたのです。これで亀井は総裁選への立候補をやめざるを得なくなりました。
 なぜ中曽根はそこまでやったか。共和党が動いたのです。中曽根は岸信介亡きあとの共和党の日本の代理人だったのです。
 実は、私は、中曽根がどう動くか注目していました。中曽根が今回また共和党の意向に沿って動いたら、自民党総裁は小泉になる、日本は大変なことになると思い、中曽根の動きを注視していました。
 小泉はアメリカに近い政治家です。小泉の祖父は敗戦直後の横須賀市長です。米占領軍とうまくやった人です。父親もアメリカに近い政治家でした。戦後、沖縄が「姿ある占領」に置かれているのに対し、横須賀の場合は「姿なき占領」下におかれた米軍基地の都市です。横須賀は戦後一貫して事実上米軍の支配下におかれた都市だったのです。小泉家は横須賀のアメリカ化の中心にいました。
 10年ほど前のことです。私が横須賀に講演に行ったとき、「姿なき占領」の実態を経験をしました。私の講演が終わると、主催の横須賀経済界の重鎮から「駅まで送りましょう」と大型ベンツに乗せられました。進行方向が駅とは違うので、「どこへ行くのですか」と聞いたところ、「行き先は米軍基地です。太平洋艦隊総司令官と日本の米軍総司令官を表敬訪問していただきます。留守の時は奥さんに挨拶してください」というのです。私にとっては突然のなんとも迷惑な話ですが、しかし車は米軍基地に向かっている。しかたないがないと思ったのですが、幸いなことに両家とも留守でした。結果として屈辱的な表敬訪問をせずに済みました。横須賀はそういうところです。横須賀の支配者は米軍なのです。
 横須賀の経済界のなかにもアメリカを批判する人はいます。しかし、その人も「私がアメリカ批判を口にするのは森田さんの前だけです。ほかでは絶対に口にできません。米国批判をしたら必ず報復があります。米軍から睨まれた企業はここでは生きていけません」と言っていました。横須賀は親米というよりも従米都市なのです。

 小泉首相になって「親米保守」という言葉が定着しました。アメリカ一辺倒、アメリカに百パーセント従うことが日本の保守の生き方だというのです。私は日本の従米化を心配していました。そのとおりひどいことになったと私は思いました。
 私は、マスコミはじめ日本国民が熱に浮かされたように小泉賛美をつづけるなか、小泉政権誕生直後からテレビ・雑誌などからインタビュー取材を受けるたびに小泉批判を繰り返しました。ホームページでは毎日、いろいろな角度から小泉批判を続けました。その当時、多いときには1日1万を超えるアクセスがあったこともありました。
 この私のマスコミ批判を含めた小泉批判のホームページを、マスコミの人たちも読んだのでしょう、以後テレビなどマスコミと私は疎遠になりました。「小泉支持」の立場を鮮明にしたマスコミから、私は「要注意人物」とみなされたのです。
 なぜマスコミはあそこまで小泉賛美の大合唱をしたのか。
 第1は広告です。60年代の広告業界電通博報堂の2つが拮抗していたのですが、いまや電通広告業界を牛耳る大独占体になり、電通が日本の広告業界を支配しています。一方アメリカの広告業界も、レ−ガン以後は共和党系の広告会社が牛耳るようになりました。この共和党系の大広告会社と電通が連携しているのです。
 電通アメリカ化している企業の代表格です。小泉政権の強大化と同時並行的にグローバリズムの名のもとに日本企業に外資が入り込み、外資の日本経済に対する影響力が強まりました。たとえば、いま日本経団連会長を送り出しているキャノンの資本の50%以上は外資です。50%以上が外資に握られている企業の代表が日本経済界のトップになるなどということはかつては考えられないことでした。小泉構造改革の結果、日本経済は米国資本に握られてしまいました。
 広告業界はいまやマスコミに対して巨大な力をもっています。コマーシャルがなければ民放テレビは成り立ちません。民放テレビはコマーシャル収入が100%です。新聞も広告は購読量とともに2本柱の一つです。この決定的な力を広告業界の独占体となった電通が握っているのです。「電通に逆らったらテレビも新聞もつぶれます」――ある社長の言葉です。
 あるとき、私がコメンテーターとして定期的に出演していた某局の夜のニュ−ス番組で、「アメリカは対日政策を考え直してもらいたい。いま、アメリカはいま日本から富を絞る取ることばかり考えている。このままでは日本は危くなる。大局的に見て、アメリカにとって日本ほどいい国はなかったのではないか。アメリカは対日政策を考え直すべきだ」と言いました。
 さらに、「広島・長崎に原爆を落されて一瞬のうちに数十万人の命が奪われ、さらに昭和20年3月の東京大空襲では12万人におよぶ非戦闘員の死傷者が出た。第2次世界大戦における戦没者(推定)310万人のうち、その多くは米軍によって殺された。しかし戦後、日本人はアメリカと仲良くするしかやっていけない、うまくやっていこう、恨みの心は持つまいと考えてアメリカとつき合ってきた。そういう人のよい日本に対する最近のアメリカの仕打ちはひどすぎるのではないか。改めてほしい」と発言しました。
 これがこの局での最後の出演になりました。この局には多くの友人もいましたが、以後、連絡がこなくなりました。私は虎の尾を踏んでしまったのかもしれません。広告の支配力はすごいものです。
 それは外資の影響です。テレビ界がいかに外資に支配されているか、自分自身で体験しました。電通の力はすごいです。私が電通批判をした後、マスコミの仕事はまったくなくなりました。テレビ界の知人から「電通を批判したらマスコミでは生きられない」と言われました。

 もう一つ、言いたいことがあります。いまやマスコミ界で創価学会を批判する人はほとんど皆無になりました。「公明党創価学会」という言い方も禁句になりました。「公明党」と言わなければならなくなったのです。テレビのキャスタ−や解説者にとって、創価学会は「聖域」になっているのです。つまり批判は許されないものになったのです。タブーに触れた者は「制裁」を受けます。おそろしい時代になったと言わざるを得ません。
 つい最近、亀井静香国民新党代表代行が某スポーツ紙に連載していたコラムが突然終わりになったそうです。なぜか。
 亀井静香氏は「公明党創価学会」という表現を使います。ごく最近、編集部から「この表現は避けてもらいたい。創価学会を消してほしい」と言ってきた。亀井は「そんな訂正は認められない」と断固拒否した結果、連載打ち切りになったのです。創価学会の影響力はここまで及んでいるのです。
 私もかつて深夜に及ぶ執拗な電話攻撃を受けたことがあります。当時、『週刊東洋経済』に常時執筆していたコラムに「創価学会の選挙運動は度が過ぎる。創価学会の選挙運動は憲法20条に照らして問題がある」と書いた直後から、深夜の無言電話がつづきました。3カ月ほど嫌がらせ電話がつづきました。深夜2時頃、玄関の呼び鈴を押されたこともありました。
 そのとき、新進党から「新進党の議員の集まりで話をしてほしい」との要請がありました。私はこの要請を受けました。そしてこの講演の最後で、「今日をもって新進党とは絶縁する。なぜなら、新進党のなかには憲法が保障する言論の自由を平然と犯すグループがいるのではないかと考えるからです」と、『週刊東洋経済』の件を例に出して「私はこれをもってあなた方と縁を切る」とはっきりと公明党創価学会批判をしました。私は「証拠はないが深夜の嫌がらせ電話は学会系の仕業だと考えている」とはっきり言いました。
 その直後、当時新進党の大物議員だったK氏から、「創価学会幹部が会いたいと言っている。会ってほしい」との電話がありました。私は「会う必要はない」といったん断わりました。しかし、その後何度も何度も「ぜひ会ってほしい」との要請がつづきました。やむなく会ったところ、その人は「われわれに対する嫌がらせを目的として、別の宗教組織が創価学会の名を騙って悪さをしている。そのためにどれだけ創価学会が迷惑をしているか。今回の森田さんに対する嫌がらせもそういう人たちの仕業だとわれわれは認識しています」と弁解しました。私は、「長年評論活動をつづけてきて、いろいろな経験をしている。その上で判断していることです。くどくど弁解するのはやめていただきたい。私の考えは変わりません」と言いました。
 そうしたやりとりのあった翌々日だったと記憶していますが、FAXで秋谷創価学会会長のインタビュ−の載った聖教新聞の切り抜きが送られてきました。送り主は不明でした。読むと、秋谷会長は「いろいろな宗教団体が創価学会の名を騙って深夜電話など人に迷惑なことをしている。われわれは本当に迷惑している」とし、最後に「もしもそういうことをやっている人物が創価学会の会員であったことがわかったら、すぐ除名する」と結ばれていました。その翌々日、当時私が常時出演していたフジテレビ宛に、「私が森田さんに迷惑電話をしたり、深夜に門のベルを押すなどどいことをした者です。反省してこれから一切やりません。お詫びいたします」というハガキが舞い込みました。これは一つの例です。このほか、私はいろいろな体験をしました。
 創価学会はいま、世間が創価学会をどう見ているか、非常に神経質になっています。