HDD

小泉先生

小泉首相の父親、在日朝鮮人北朝鮮送還事業を主導」[]:2008/05/04(日) 17:40:16

小泉純一郎の父、小泉純也豊臣秀吉の頃の朝鮮出兵
日本に来た人の子孫部落出身で苗字を10回変えている
純也は、鄭という苗字の頃 (1930年代)に朝鮮総督府で事務官として働いていた。
鄭純也は、総督府に勤務していた当時、小泉又次郎郵政長官と知り合いになり、
その後 又次郎が上野のソウルクラブのエスコートガールを妾にして生ませた娘
芳江の婿になって選挙区まで受け継いだ。 このことは当時新聞でも報道された。


 一方の小泉だが、確かに自民党を壊すらしい。というより、小泉と
飯島の「血筋」については、内閣情報調査室をはじめ心ある当局の人
間によって、証拠物件とともに日本の闇社会よりも上のドンのところ
にあがっており、本サイトはそのラインからの情報提供を受けている
。ふと思ったが、小泉自体が工作員ではないのか。小泉の親父は「鮫
島純(惇もしくは絢)也」と名乗り、なぜか鹿児島の朝鮮部落(加世
田)から出てきたくせに、いつの間にか鹿児島の名門である「鮫島」
を名乗っていたという。名門の家の出身のはずが、なぜ鮫島性を捨て
て小泉家に養子に入ったのか。それは、鮫島姓が偽だからであろう。
鹿児島出身の朝鮮人池内恵観が「小泉は俺といとこだ」といってい
たのはブラフだと思い込んでいたが、北朝鮮訪朝時の空白の10分間に
「あなたの父親は北朝鮮人だよ」と金正日に言われたという話と総合
すると、信憑性も高まるというものだ。



小泉純一郎選挙対策本部長を長年努めた竹内清は、

暴力団「稲川会」の組員だったのだ。

一応、前職は「神奈川県議会議長」という肩書きだった。


彼は、「稲川会」の故・石井会長と非常に親しい関係にあった。


但し、竹内清は、若い頃に足を洗い、堅気になっている。

しかし、親分の石井会長に可愛がられ、

やくざを辞めてからも出入りしていたのだ。


1991年、その石井会長が亡くなった際、

葬儀で最初に焼香したのは、竹内清だったのだ!

上下関係の厳しいヤクザの世界で、こういうことが

問題なく可能だったということは、

竹内清自身が、石井会長が存命中から

周囲の誰もが認める関係だったということである。


小泉純一郎選挙対策本部長を連続10回も努めた竹内清は、

2001年に、その地位をようやく息子に引き継いだ。


「稲川会」は、違法賭博、売春、風営法違反、詐欺などの罪で

下っ端にも幹部にも逮捕者を出している広域暴力団で、

小泉純一郎の選挙区である、横須賀に本部がある。


「フライデー」のカメラマンが撮影した、

「稲川会」の構成員名簿には

はっきりと竹内清の名前が写っていたのだ。


「フライデー」の記者の質問に、竹内清はこう答えていた。

「石井さんは黙っていてもやってくれる人でした」


何をやってくれたのだろうか?


さらに、今度はベンジャミン・フルフォードが、

「稲川会」の幹部(35歳)に小泉純一郎と「稲川会」との繋がりを

確認したところ、彼は次のように答えたという。

「横須賀では、政治家ならウチと繋がっていないと、

何一つ出来ませんよ」


ここで言う「繋がる」とは、「票の取りまとめ」、「買収工作」、

「裏金作り」などの見返りに行われる、

組員が逮捕された場合の実刑の軽減、

風俗店許認可への便宜供与、

マネーロンダリングのお目こぼし、

大型土地買収案件での仲介斡旋などである。


民主党もその他の野党も、

みんなこのことは知っていながら知らんぷりだ。

そりゃそうだろう、そんなことを真正面から

突っ込んでいけば、東京湾に自分の死体が浮くか、

自宅で首吊り自殺したように見せかけて殺されることが

わかっているからだ。


小泉純一郎とは、そういう取り巻きに囲まれている

日本の首相なのだ。

彼は選挙中に地元に一回も帰って来ないことで有名だ。

絶対的に当選するという自信の裏付けがあるからだ。


さて、あえてここで冷静に考えてみよう。


これら一連のお話が、全く勘違い報道か、

あるいは作為のある捏造報道だったということはないだろうか?


もし、上記の記事内容が全く根も葉もないニセ報道で、

小泉純一郎自身が清廉潔白だった場合、

当然「名誉毀損」で出版社は訴えられていたはずである。


が、事実はそうではない。

訴えれば、そういう話題を日本中のマスコミに、

わざわざ投げ与えるようなことになってしまう。

それは、どうしても避けたかったとしか思えないのである。


ゆえに、結果論的に、上記のお話は、

限りなく真実に近いものと思われる。