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竹中平蔵はデビュー作が剽窃論文だった

オボちゃんもびっくり!?竹中平蔵はデビュー作が剽窃論文だった

http://www.asyura2.com/14/senkyo165/msg/259.html


 「構造改革」の立役者、竹中平蔵・慶応大学教授(63)にはSTAP細胞も真っ青の論文剽窃騒動があった。
 『市場と権力』(講談社)で大宅壮一ノンフィクション賞をを受賞した佐々木実氏が、知られざる秘話を明かす。



 かくも長きにわたり日本の経済政策に影響を与えた経済学者がかつていただろうか。竹中氏は十六年前に小渕政権の経済戦略会議のメンバーになって以降、ほぼ途切れること無く政府の経済ブレーンをつとめている。
 そんな竹中氏が、今度は安倍政権で規制緩和の司令塔役を果たそうとしている。産業競争力会議で「国家戦略特区」構想を打ち出し、提言どおり安倍総理直属の「国家戦略特区諮問会議」が新設されると、こちらでも民間議員に就任。労働、医療、農業などの分野に大胆な規制緩和で切り込もうとしている。

 もはや日本を代表する経済学者となったわけだが、そんな彼にも触れられたくない過去がある。デビュー作をめぐる“剽窃疑惑”だ。

 竹中氏が『研究開発と設備投資の経済学』(東洋経済新報社)を上梓したのは一九八四年七月。当時は日本開発銀行(現日本政策投資銀行)に勤務する三十三歳の駆け出しエコノミストで、大蔵省のシンクタンクに出向していた。
 ところが、満を持してのデビュー作が出版されると、日本開発銀行に波紋が広がった。共同研究者だった鈴木和志氏(現明治大教授)が、竹中氏の本を見てショックのあまり同僚たちの前で泣き出してしまったからだ。アメリカ留学時のふたりの研究が、「竹中氏個人の研究成果」として発表されていたためである。
 竹中氏は確信犯だった。というのも、出版前に鈴木氏を訪れ、共同研究の成果を竹中氏個人の著作として発表させてほしいと頼み込んでいた。「ふたりで研究したのだから、発表するならふたりの名前で発表してほしい」。鈴木氏はそういって拒絶した。鈴木氏にとっても、アメリカでの研究の集大成なのだから無理もない。しかしその後、竹中氏は鈴木氏にいっさい何も知らせず、出版を強行した。

 涙を流して悔しがった鈴木氏は結局、竹中氏と絶交した。一方、竹中氏はこの著作でサントリー学芸賞を受賞、新進気鋭のエコノミストとして評価された。「裏切り」の対価として「褒賞」を得たわけだが、そもそも研究を主導したのが鈴木氏だったことから、研究仲間からも「剽窃に近い行為だ」との声があがった。

 剽窃騒動はそれだけではない。開銀の後輩研究者だった高橋伸彰氏は、自分が作成して論文で発表したはずのグラフが竹中氏の本に無断掲載されているのを発見して驚愕した。しかもこのグラフは高橋氏の論文の核をなすものだった。だが竹中氏は高橋氏のクレジットを入れることもせず、勝手に拝借していたのだ。

 竹中氏は批判など意に介さず、大胆にも本作を博士論文として母校の一橋大学経済学部に提出している。経済学博士号の取得がかねてからの狙いだったのだ。
 だが、事査の結果は「不合格」。真偽は定かでないが、剽窃疑惑が響いたとみる向きもあるようだ。いずれにせよ、「経済学者竹中平蔵」がトラブルを伴って誕生したことは事実である。

「処女作に作家のすべてがあらわれる」。学者にもあてはまる格言だろう。現在、竹中氏は「慶応大学教授」として労働規制の緩和に熱心に取り組む。一方で、彼は人材派遣大手パソナグループの取締役会長をつとめる。「利益相反」をものともしない経済学者には、“剽窃疑惑”騒動でかいまみせた“グリード(強欲)”の精神がいまも宿っている。


 









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コメント



01. 2014年5月08日 16:14:10 : T0YRBCn5FI
人相が悪いよね、竹中。
年を取るほど顔に出るよな〜。
安倍、麻生を始めとする棄民党の議員なんかはその典型。
ま、年輪を重ねるごとに悪事も重ねていくのだろうけどね。

02. 2014年5月08日 16:41:48 : lwVQJ7yN1Q
竹中平蔵物語
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/301.html

03. 2014年5月08日 17:44:26 : rrhrFN6JLd
ケケ中はインサイダー等平気でやっているんではないか? この国の検察がまともなら真っ先に逮捕起訴されるべき輩だろうに。市中引き回しの上獄門首にしたい連中の筆頭。


04. 2014年5月08日 18:22:32 : Huc46W1eZ6
ケンチャナヨ

05. 2014年5月08日 19:42:21 : F4inqhnp1o
辛坊も竹中も(和歌山でしょ?)抱えたもんが良くなく出たんだよなあ。

06. 2014年5月08日 20:37:44 : yy7D5jhcis
竹ちゃんに一番相応しい仕事は夜店の金魚すくいかな。子供だましの仕事なら何でも万能だろう。秋葉原デパート前で万能包丁のたたき売りなんてのもいいね。

07. 2014年5月08日 21:45:01 : TpbL3cQSNc
世耕弘成も和歌山  って和歌山に何があるのよ
関係ないと思うが野球選手も和歌山が多い


08. 佐助 2014年5月08日 22:01:46 : YZ1JBFFO77mpI : wpmCg8U5S6
ケケ中氏も理研も戦前の無謬主義,理研は最早存在意義すらない。こんな奴ら相手にすると晒し者になる。すでにマスコミと2chで晒しものなっているが,マスコミの大本営はウソばっかり,青色発光ダイオードの特許の事例があるので,小保方さんは論文は破棄してもしないでも,懲戒処分,首にされ税金投入のムダと云われ,税金返せと言われる,その前に希望退職することである。
小保方さんは人類に貢献したいのなら,こんな敵の多い日本より師匠のいるハーバードに行きなさい。なんなら奨学金制度がありますよ,政府も了解しているようです。しかも特許を出しても、報われることはないので、ハーバードに戻り、米国で論文を出し、米国特許と国際特許を提出すべきである。

我が国には,嘘は世の宝,嘘も重宝,嘘も追従も世渡り,と言われ政治,経済の指導者公務員やマスコミは常に”嘘つきは世渡り上手”という常識を文化にしている。その代表格が理研であり,ケケ中氏。小保方氏は理研と争っていないで、この愚かな国に早々に見切りを付けること。

日本ではケケ中氏のような人間が多く本質的な研究前進は望めない。理研を見なさい組織防衛に走り,研究員をゴミ扱い,責任擦り付けて逃亡。韓国と同じということを知ること。


09. 2014年5月08日 23:16:57 : atxeyfN6Rs
はっきり言って竹中は日本の癌だ。すぐにも切除しなければならない。何をしても潰れないのは宗主国がガードしているからだろう。あの小泉竹中時代に食い荒らされた日本を見ると竹中一人のために日本はどれだけの国富を喪失したのだろう。行ってみれば竹中は泥棒である。日本は泥棒を後生大事に飼っているようなものだ。いつまでたっても経済発展をしないのはチューチュウどこかに富が吸い取られているからだ。このままではきっと死ぬまで生き血を吸われる事だろう。今回もTPPという大きな吸い取り針が打ちこまれようとしている。為政者たちは何を考えているのだろう。勿論宗主国の事を考えて仕事をしているのだ。話はそれるが今回のロシアに対する手のひらを返したような日本政府と安倍発言を見ると日本が独立国では無い事を鮮明に現わしている。その手先は国がこの体たらくなのだから特別な身分と地位を持っているのだ。彼らにとり国民は虫けら同然である。彼らの人格が同行は日本で政治をする上に全く関係が無いのである。

10. 2014年5月08日 23:44:34 : atxeyfN6Rs
>09に追加
安倍は北方4島、新エネルギー、新市場を打ち捨ててプーチンを裏切り手のひらを返したのである。片方は日本にとり莫大な利益片方はTPPで莫大な損失。勿論、アメリカからは信じられない事に定価の何倍もの値段で何でも買わされるのである。ユダ金が日本は同盟国だから安く売ってやるとか日本が困っているから安く売ってやるとか日本が以前助けてくれたから今度は助けてやるとかあり得ないのである。現実に原発が止まって油やガスが心配となった時逆に足下を見て特別高値で売ってきたのである。国民は洗脳されてそんな事は露知らない。当事者が知っているだけでメディアはもちろん取り上げない。それどころか非常事態だから高値は仕方が無いとユダ金を応援する始末だ。同じ事が竹中にも言える。ネットでは竹中批判はあるが日本のメディアで竹中を批判したところはどこもない。逆にどこも祭り上げ応援をしているのだ。これでは日本は蟻地獄から這い出せるはずはない。

11. 2014年5月08日 23:52:23 : 2JzhWjAG7r
あまちゃんだったよ
サントリーって
そちらさんサイドか


12. 2014年5月08日 23:52:26 : 2f4eqyymkM

 え〜〜〜 学位論文も なにも無い 安倍(低能大学卒業)が
 日本の経済を 語っていますが〜〜〜〜

 この場合 どうなるのでしょうか〜〜〜〜〜

 ===

 黒田に 命令してますけど〜〜〜 

 ===

 アホは 賢人の上にいるのですよね〜〜〜〜〜
 


13. 2014年5月09日 04:32:20 : 2ZkL8nM3nI
辛坊次郎の生年月日の数字をたすとトータル18=6+6+6になる
つまり、カバラで言う獣の数

今、マスコミに出てる人で18に関係してるタレント、芸能人が多い

彼らは偽日本人の片棒かつぐ獣


14. 2014年5月09日 04:33:10 : q6N3zBdkiY
小泉政権当時も言われてたけどもみ消されちゃったね

15. 2014年5月09日 07:41:01 : Fo3102ZBTQ
 アホはオマエだよ  愛
 未だ生きてたんか、胆石ジジイ

16. 2014年5月09日 07:43:58 : SUTOowvFgA
竹中は、経済学者ではない。
和歌山の差別部落で生まれ、上昇意識が高いだけの男で、アメリカのエージェントになり下がり栄達を望む、そんな男である。
日本に憎しみがあるのであろう。

慶應大学もよくこんな男を経済学部教授にしたものだ。
慶應大学出身者を、派遣社員としてパソナで働かすのだろうか?
派遣会社は、労働者からピンハネ、国からの補助金で経営できている。

こんな男、日本のためにならない、がなぜ政府で動けるのか?
アメリカ様の後ろ盾で動いているからだ。



17. 2014年5月09日 07:52:29 : atxeyfN6Rs
>09
訂正
行ってみれば→言ってみれば
人格が同行→人格がどうこう

18. 2014年5月09日 07:55:49 : atxeyfN6Rs
>15
愛さんいい事言うじゃないですか。最近の愛さんは昔の愛さんでは無いですよ。

19. 2014年5月09日 08:14:57 : Fo3102ZBTQ
>19
オマエもアホだな タヒね

20. 2014年5月09日 08:27:27 : BT8XFrQcTQ
こいつは以前、自分の住民税逃れでもせこい手を使ったことが週刊誌に書かれていたな。
狡さが人相に丸出しだ。
安倍は相続税の脱税が問題になって、いったん辞任して逃げたことがある。
ろくでもない人間同志が


2016.04.25  追加


「競争が進むとみんなが豊かになっていく」(笑)

ヘ・イ・ゾー!ヘ・イ・ゾー!ヘ・イ・ゾー!ヘ・イ・ゾー!
ヘイゾーヘイゾーヘイゾーヘイゾー
ヘイゾヘイゾヘイゾヘイゾ
ヘゾヘゾヘゾヘゾ・・・(笑)


改革が不十分なので、地方が疲弊しています

金持ちを貧乏人にしても貧乏人が金持ちになるわけではない

格差社会とか地方の疲弊などというキャンペーンを張って改革(笑)を邪魔する(笑)

生産性の低い建設業労働者をIT産業に(笑)

介護で500万人の雇用創出(笑)



石原都知事から、アメリカの手先と指弾された、ユダヤ資本に飼われた竹中さん。売国奴の標本です。

知的レベル・政治意識の高い階層は騙すことが出来ないので、「IQの低い、イメージだけで物事を判断する傾向のある、主婦・子供・シルバー層の支持を取り付けて郵政民営化を強行しよう」というのが、小泉一派の方針だそうです。

竹中大臣の知人の会社が作成した内部文書が暴露されています。

小泉内閣支持基盤はIQの低い「主婦層や子供、シルバー層」といった具体的なことはわからないが、小泉総理のキャラクターだけを支持している層が多いから、その層を中心に学習を促進させれば、容易に騙すことができる」ともとれる内容の大衆扇動手段が提言されています。

質はどうであれ、数だけそろえて、小泉支持の声を上げさせているわけです。創価学会の低所得層の大量動員と同じ発想ですね。そして、民営化に反対した議員には、女性対立候補を刺客としてどんどん送り込んでいます。

これこそが、「イメージだけで判断する、あまり脳細胞を使う習慣のない主婦、子供、シルバー層」の票を狙った狡猾な手口です。

どうせ主婦なんかに、民営化の議論など解りはしないと馬鹿にされているわけです。

「改革改革」と繰り返せば、主婦や子供は、本当に改革派だと思い込んでくれる、「抵抗勢力だ」と繰り返せば、無知蒙昧な主婦層は、抵抗勢力と名指しされた人たちは、本当に悪い奴らだと思い込んでくれると計算しているのです。どんな無知無能な有権者でも、一票は一票ですから。ユダヤ人がアメリカで培ってきた選挙戦のノウハウが、そのまま投入されているように思います。
http://www15.ocn.ne.jp/~oyakodon/newversion/yuuseiminneika.htm


1987年、大阪大学経済学部助教授に就任。以降研究者としての道を歩む。同校の主任教授は後に「経済財政諮問会議」の民間議員および「政府税制調査会」の会長を務めることになる本間正明であった。

しかし、母校の一橋大学に前述した論文『開発研究と設備投資の経済学』を提出し経済学博士の取得を試みたものの、

「あまりに初歩的すぎる」などとの意見が出て、教授会での審査に不合格となる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%B9%E4%B8%AD%E5%B9%B3%E8%94%B5


一橋は竹中の博士論文を認めていない。
だから一橋では博士号は与えていない。

理由はいろいろ書かれているが、要するに博士論文に値しないって事。

それでもどうしても博士号が欲しかったんだろうね。
阪大でやっと博士にしてもらった。
当時の阪大には竹中のボスがいたからね。

竹中っていうのは経済学者としては特に見るべき業績はないよ。
ただ時の政府と繋がりの強いボス教授に取り入る要領は抜群。
例の口八丁だからね。

慶應にいったのも、KKというかつて政府自民党と密接だった慶應閥のボス教授の引きだよ。 KKは慶應を辞めた後は冴えない二つの私大の学長を渡り歩いて、子分達を集めている。

ただ竹中が信奉して武器にしてきたアメリカの市場原理主義が破綻してしまった。
今竹中としては生き残る為に必死だろうね。
金儲けは大好きだし、常に注目を浴びていたい男だから。


一橋に提出した博士論文は教授会での審査に不合格。
阪大に別論文を提出してやっと博士号取得。
よっぽど博士号が欲しかったんだろうね。

因みに当時の竹中の親分は阪大教授の本間正明
多くの政府委員を歴任していた典型的な御用学者。
官舎で元クラブママの愛人と同居していたスキャンダルで失脚した人物。

一旦主査がOKすれば,普通は主査の顔を立てて余程のことがない限り,審査もOKになるんだが.審査段階ではねられるというのは余程程度が低かったということだ.


一橋大学の博士号取得に失敗した「翻訳型研究者」は次第に、「企業家」「オルガナイザー」としての頭角を現す。そして、43歳のとき、様々な手段を駆使した末に念願の博士号を取得した直後から、その本性をむき出しにしてビジネスの世界へと乗り出していく。

平蔵ちゃんも、ハーバードのジェフリー・サックスモデルを利用してグローバルエリートのパシリぐらいにはなれたのかな?

母校の一橋大学が博士号はダメよ!他人の論文平気で剽窃するような人には博士号はあげません!

それでも、メゲナイ平蔵ちゃん、
いろいろツテやコネをたどって慶応と大阪大学の両方から博士号をもらえる根回しをしてもらったんだって。

佐貫は困り果てたが、竹中は佐貫に判断をゆだねた。
「佐貫さん、慶応大学と大阪大学、どっちで博士号とったほうがいいでしょうか」 佐貫は竹中を諌めるようにいった。

「竹中君,おれと加藤さんの仲だ。加藤さんにはおれが頭を下げて謝るよ。でも、本間さんはそういうわけにはいかないぞ。
君が大阪大学にいった時の恩師なんだから、失礼なことはできんぞ」

根回しで博士号をとってしまう、平蔵ちゃん、電波芸人のスキルとしてもすばらしい。
http://asyura2.com/0510/senkyo17/msg/422.html


竹中平蔵氏はこれと言った学者としての業績もなく、著書などを見ても経済
の入門書ばかりだ。このような人物が大学教授になり、大臣にまでなれたのは、背後に長富氏という高級官僚が糸を引いているからだ。

竹中は73年に一橋大学を卒業、日本開発銀行に入行した。 その後77年には
同行設備投資研究所に配属になり、82年には大蔵省財政金融研究所に主任
研究官として出向した。

この頃、竹中は、当時大蔵省官房審議官兼財政金融研究所次長であった
長富祐一郎に出会う。 長富はその後大蔵省関税局長を経て財政金融研究所長
を務めた人物であるが、大蔵省きっての問題人物であり、この出会いが竹中を
シンデレラ・ボーイに押し上げていくのである。

87年、竹中は、長富の後押しにより、大蔵省の出向ポストであった大阪大学
経済学部助教授に就任した。 そのときの主任教授が、現在、経済財政諮問会議の民間議員を務める本間正明氏である(竹中が本間教授の起用にこだわった
のは、もちろん口封じのためである)。

しかし、竹中は、休講ばかりで授業を真面目にやらなかったうえ、生来の
女好きが災いして教え子の女子学生にセクハラを働いたため、本間教授の
逆鱗に触れて大学にいられなくなってしまう。

そこで、竹中は長富に泣きつき、トラブルを表沙汰にせず、円満に大学を
去る形にしてもらった。 89年、長富は開銀とも話をつけ、ハーバード大学
に留学させることにした。そのときの肩書きは客員准教授であったが、実際
には助手見習いであり、しかも在籍したのはわずか3ヶ月だった。

ここで、長富がなぜこのような力を持っていたかということに触れる。 
長富は、大蔵省の中堅幹部だった頃から、財政金融研究所の外郭団体を使い、
銀行や証券会社から巨額の裏ガネを集めていたのである。

そのカネは、政界工作はもちろん、海外の主要な大学や研究所との人脈づくり
にも使われていた。 長富は頻繁に海外出張して、接待・贈り物攻勢をかけた
のである。 竹中がハーバード大学に留学できたのも、この裏コネクション
があったからである。

ちなみに、そのとき長富にいいように使われた人物が、みずほグループ
いる。 竹中がみずほグループを追い込めないのも、過去の秘密を握られて
いるからである。

なお、本題からは外れるが、このとき竹中は、1月1日に日本に住民票が
なければ住民税を払わなくてすむという脱法行為に気付き、以後もたびたび
この手法で「節税」を繰り返すことになる。

この問題を国会で追及された際、竹中は意図的なものではないと強弁したが、
草野厚慶應義塾大学教授が、竹中本人から「節税」を誘われたと漏らして
おり、意図的なものであったことは確実である。

ハーバード大学からわずか数名しかいない国際経済研究所なる研究所に移った
竹中は、90年に慶應義塾大学総合政策学部助教授のポストを得る。 
これは、長富が、懇意にしていた加藤寛慶應義塾大学総合政策学部学部長に
働きかけたことから実現したものである。

http://www.rondan.co.jp/html/mail/0310/031021.html


竹中平蔵による同僚の研究業績の盗用事件  

月刊『現代』の今月号(12月号)に、ジャーナリストの佐々木実氏が「竹中平蔵 仮面の野望(前編)」という渾身のルポルタージュを掲載しており、非常に興味深い内容でした。その中で、このブログの10月9日の記事でもちょっと触れた竹中平蔵氏による同僚の研究業績の盗用事件が詳しく紹介されております。興味のある方は是非『月刊現代』をご一読ください。竹中氏による盗用事件の概要は以下のとおりです。竹中氏は日本開発銀行(現・政策投資銀行)の設備投資研究所に勤務していた当時、同僚の鈴木和志氏(現・明治大学教授)と共同研究をしておりました。ところが竹中氏は、共同研究者の鈴木氏には無断で、その研究内容を単名の著作の中で発表してしまったのです。かくして、鈴木氏が行なった実証研究の成果は、パクられて竹中の業績になってしまったのでした。

 問題の本というのは、竹中平蔵著『研究開発と設備投資の経済学』(東洋経済新報社1984年)です。竹中はその「業績」によりサントリー学芸賞を受賞し、学者への道を切り開いたわけです。その問題の本では、鈴木氏の他にも、同じく同僚の高橋伸彰氏も、自分の作成した図を竹中氏に盗用されるという被害を受けていたそうです
 
 『現代』のルポでは、竹中に自分の研究成果を盗用された事実を知った鈴木氏が、あまりの悔しさで、同僚たちの目の前で泣き崩れてしまった事実などが、生なましく描写されております。鈴木氏が泣き崩れた現場にいて、鈴木氏を励ましたのが、設備投資研究所の研究顧問をしていた宇沢弘文氏(当時は東大経済学部教授)でした。


じつは私も宇沢先生から、直接に「竹中事件」のあらましについてお聞きしておりました。宇沢先生は、この事件について「汚い犯罪」と仰り、「あの時、竹中を処分していれば、こんなこと(今の絶望的政治状況)にはならなかったのかなあ」と語っておられました。

 竹中氏がやったことは、学問の世界ではもっとも恥ずべき犯罪行為です。竹中氏は、日本をアメリカ型社会に改造したいようですが、もしアメリカだったら、こんな盗用事件が発覚した時点で学者生命は終わりですね。決して大学教授なんか続けていられないでしょう。

 私は、産業政策や社会経済のシステム全般に関しては、かつての(日米構造協議や年次改革要望書で破壊される以前の)日本型システムの方が、米国よりもはるかに優れていると思っております。しかし残念ながら、学問研究に関する制度は米国の方がはるかに優れています。悔しいことですが、私も米国がうらやましいと思う次第です。スポーツや学問研究の世界なんて、厳然たる競争原理がはたらくべき分野だからです。そういう分野は米国型でよいのです。(しかし、社会経済のシステム全般に関しては決してそうではありませんが・・・)。


米国型のアカデミズムの規律の中では、竹中氏のような窃盗行為は厳格に処分されます。教授職も解任されるでしょう。もっとも、そもそも竹中氏程度の研究業績だったら、米国では決して教授になんかなれないでしょうが・・・。何せ、竹中氏ときたら、唯一の学問的業績が、この盗用本なのです。竹中氏の他の著作なんて、まったく取るに足らない俗説受け売り、オリジナリティー・ゼロの解説本ばかりなのですから・・・・。

 残念ながら、日本の大学の多くでは、学問的業績よりも、教授にどれだけゴマすったかで登用が決まるといった、じつに情けない状態ですから、竹中氏なんかでも教授になれたわけです。
 日本の大学で独創性のある人間は、だいたい教授の言うことなど聞きませんので、教授から見ると使い勝手が悪くて嫌われ、教授に従順な茶坊主が研究室の「後継ぎ」になってしまうことが多いのです。かくして日本の大学はだんだん腐ってきております。
 アメリカ型アカデミズムでは、「茶坊主度」などは評価の対象にならず、研究の独創性が当然のことながらトップ・プライオリティーとして重視されますので、優れた研究が出るわけです。

私の所属する某学会では数年前、某旧帝大の某教授が、同じ講座の女性助手の未発表の調査データを盗用して論文を書いていたという「アカデミック・ハラスメント」の事件が発覚しました。日本の従来通りの慣行でしたら、なあなあで「恩赦」が与えられてうやむやになっていたのでしょう。しかし、幸いなことに学会の若手には、日本におけるアカデミズムの規律も米国のように厳しくあるべきだと思う人が多かったようで、厳格な処分を求める署名運動が起こりました。その結果、その某教授は、学会から「退会勧告」という処分を受けました。
 しかし、肝心の某旧帝大の教授会は、その某教授に対して今に至るまで何の処分も下しておりません。何せ、他の教授たちも似たようなことをしているのでしょうから・・・・。

 竹中さん、日本がアメリカ型になったら、一番困るのはあなたじゃないですか??
http://blog.goo.ne.jp/reforestation/e/29469447a0d19222c5dc03ae3d04da49


彼は小学生の頃から強烈な競争意識を奥底に秘めていた。
日本開発銀行勤務時代に営業失格の烙印を押されるが、不意に歩み出した研究者生活のなかで、彼は人脈を広げ、アメリカ留学、大蔵省出向を経て学者としての地歩を築いていく。
しかし・高い評価を得た処女作には剰窃疑惑が持ち上がっていた!

「日本のインテレクチュアルズ(知識人)が試される」
四年半前、小泉純一郎首相から経済財政担当大臣に任命された竹中平蔵は、就任時の記者会見でそう語っていた。
日本の知識人の代表として政権に参加したのだという自負が、そう言わしめたのだろう。

 まるで急峻な山を踏破するように、竹中は一気に政権中枢へと昇りつめていった。
一九九八年に小渕恵三政権で経済戦略会議のメンバーに選ばれたのを皮切りに、森喜朗政権ではIT戦略会議のメンバーとして政策ブレーンをつとめ、小泉政権発足とともに大臣に就任した。
 政権入りしたときの竹中の物言いをそのまま受け入れるのならば、日本の知識人の代表として政治とかかわったこと、つまり竹中が権力中枢に入り込んだことは、ようやく日本の政治が知識人を受け入れて近代化、知性化されたということになるのだろう。
果たしてそのような理解は正しいのだろうか。


竹中は「サプライサイダー」とみられている。
供給側を重視する経済学者、生産者側、企業サイドの活性化を重要視する立場である。
竹中の経済観はそのまま小泉構造改革の思想になっているといってもいい。
「小さな政府」と「競争社会」。

竹中の思想はどこから出てきたのか。
それは日本の社会を導く思想と呼べるものなのだろうか。

 これまでに竹中は膨大な量の文章を書いてきたが、自身の歩んできた道を綴ったものは驚くほど少ない。
小泉構造改革がほんとうのところいったいどのような思想に基づいているのかを知るためには、竹中の思想のよって立つところを理解しなければならない。
それはとりもなおきず竹中平蔵という人物そのものを理解することである。

私は、竹中が歩んだ五十四年の軌跡をたどってみることにした。
(中略)
 露骨な競争意識

 小中学校時代、毎日のように顔をあわせていた親友の森本道夫が、竹中の行動に戸惑いを覚えるようになったのは、小学校六年生のころだったという。ときおり、激しいライバル心を抱
いているような素振りを見せるようになったのである。もっともそれは学業に限ってのことだった。少し言いにくそうに森本は話した。
 「ぼくのほうはそんな意識はぜんぜんなかったですけどね。中学校でも学年があがるにしたがって、平蔵が(成績のことを)聞いてくるようになったんです。ぼくはそういうのはちょっとあれやったから……」


中学校三年生のときだった。森本は業者が実施する有料のテストを受けて県内の成績上位者に入った。森本や竹中が通う西和中学校から受験した生徒のなかでは一番成績がよかった。
 「ぼくも受けたらよかったな」
 竹中は森本から成績結果を聞くと、そういった。テストを受けていれば自分が一番になっていた、とでも言いたげな物言いである。森本は内心むっとすると同時になにか割り切れない気持
ちもした。親友の竹中とは二人でいっしょにがんばっているとおもっていたからである。
 「あれっ、いっしょにがんばったらええやんかとおもっていたからね。平蔵だって勉強はよくできたし、ぼくに競争心をもつのはちがうだろうと。そういうのは勘弁してくれ、と。そういう
ことで、ぼくのほうから平蔵と少し距離を置くようになったんです」
 おもいあたるきっかけがひとつあった。知能指数(IQ)テストである。
 ふつう結果は本人にしかわからないはずなのだが、小学校六年生のときの
森本の結果は一部の保護者の知るところとなった。先生が、学年で一番IQが高かったのが森本であることを保護者会でついもらしてしまったのだ。
 森本はそのことを母親から聞いて知ったのだが、竹中が露骨な競争心を示すようになったのはこの一件以降である。森本にはそれ以外の理由がおもい浮かばなかった。


吉田和男・現京大教授は、竹中の研究者としての骨格はアメリカでつくられたのではないかとの感想をもっていた。

「どのような時期にアメリカにいたかですよね。これは竹中さんに限りませんけど、日本の経済学者はどの時期にアメリカにいったかで決まるところがある。竹中さんがいった時期は、純粋なケインジアンにはお年寄りが多く、若い人はそういう立場に異論を唱えていた。やはり経済学者は一番勉強をしていた時期に影響を受けるから」

 吉田の言葉は七〇年代から八〇年代にかけて起こった、アメリカ経済学界の地殻変動といってもいいような大きな変化を前提にしている。七〇年代のアメリカ経済学界は、いわば戦国時代の様相を呈していた。

 厳しい批判を受けたのが、それまで主流だったケインズ経済学だった。インフレーションが加速し、さらにインフレ、不況、高失業率が同時に起こるスタグフレーションが生じるなか、政府が有効需要を管理することで失業やインフレを是正する、という考え方を否定するグループが経済学界のなかに台頭してきた。 低金利がインフレを招いたとする「マネタリスト」は金利政策ではなく、貨幣を安定的に供給することが重要だと説いた。人々の将来予想を織り込んだ経済学を標梼した「合理的期待形成学派」は、人々が合理的に将来を予想すればケインズ的政策は効果がないと主張した。

 反ケインズの潮流のなかで、需要側ではなく供給側を重視した政策を唱えるグループも出てきた。「サプライサイドの経済学」である。レーガン大統領の掲げる「小さな政府」路線を理論面から支える主役はサプライサイダーたちだった。


 古い経済学の再登場

 極端な減税政策を柱に据え、「小さな政府」路線をレーガン大統領が突き進んだ背景には、国家衰退への危機感を抱く指導者層に、六〇年代以降の福祉政策拡大に不満をつのらせる中間層が呼応するという、大きな政治的流れがあった。

  六一年に大統領に就任したケネディケインズ政策を採用した。ケネディ暗殺後に副大統領から大統領に就任したジョンソンは「偉大なる社会」政策で福祉施策を拡大する一方、泥沼化するベトナム戦争に本格介入していく。結果として、六〇年代後半からインフレーションが進むとともに失業問題が深刻化し、アメリカ経済はスタグフレーションに陥った。

 こうしたなかで、政府が財政金融政策を行って経済をコントロールするという考え方そのものが批判にさらされるようになった。とりわけ攻撃の対象になったのは福祉政策である。そして、ケインズの登場で否定されたはずの古い経済学、つまり市場機構の活用を重要視する自由放任の経済思想を下敷きにした経済学が、装いを新たに再び登場してきた。

 これが先述した反ケインズ経済学の動きだ。つまり、経済学界の動きと連動しながら現実の政治潮流はつくられていくのである。これら「新しい」経済学を掲げる経済学者やジャーナリストたちは、「専門家」の立場からレーガノミックスの正当性を保証する役割を担うことになる。


流行のエイベルに飛びつく

 竹中は初めてのアメリカ滞在で、政治=レーガノミックス、経済学=反ケインジアンの流行、の両面から影響を受けることになる。

 設備投資の研究をしていた竹中が行き着いたのは当時ハーバード大学の新進気鋭の経済学者だったアンドリュー・エイベルだった。エイベルは「合理的期待形成」の考えを設備投資の研究に導入して注目されていた。
「合理的期待形成」というのは経済活動を行う人々の将来に対する見通しのことなのだが、経済学のなかでは独特の意味をもつ。

 まず、人は「合理的な経済人」であるという前提を置く。自らの行動が市場にどのような影響を与えるかを予測し、そのうえで現在の行動を決める。各人が経済の構造について完全な知識をもち、市場価格がどのような確率分布をするのかまで計算できるという前提に立っている。

 もちろんそのような「人」は実在しないが、この前提を置くと整然とした理論を構築できる。合理的期待形成のこのような考え方を受け入れると、結果として、政府が介入しないで市場機横にすべてを委ねておけば、もっとも効率的な資源配分が達成されるという結論が導き出されてくる。

 ところで、なぜエイベルが注目されていたかというと、当時のアメリカ経済の最大の問題が生産性の低迷だったからだ。「生産性のパズル」と呼ばれ、根本的にアメリカは活力を失ってしまったのではないか、という危機感の温床となっていた。生産性の低迷を解消するという大義名分を掲げて登場してきたのが、サプライサイド経済学である。
 生産者側の供給能力を強化する点に焦点を絞ると、設備投資の活性化というテーマが浮上する。レーガノミックスの減税政策のねらいのひとつも設備投資の振興にあった。エイベルはそうした設備投資をめぐる専門家の議論の中心にいたのである。

 この時期、アメリカの経済学界では毎月「合理的期待形成」の考えに基づいた論文が量産されていた。こうした流行のなかで設億投資研究の「最先端」を探れば、自ずからエイベルに突き当たる状況にあったわけだ。


エイベルを機縁にして、竹中は共同研究のパートナーに鈴木和志を得る。
竹中の二年先輩にあたる開銀の研究者だ。同じ時期に客員研究員としてペンシルバニア大学に在籍していた。のちに詳しく述べるが、鈴木は竹中が経済研究者として世に出るために欠かせない人物だった。

 二人は留学前にいっしょに論文を仕上げた仲だった。鈴木が竹中にエイベルの話をすると、竹中は会ったことがあるという。それならいっしょに勉強しようということになり、二人は連れ立ってハーバード大学のエイベルのもとを訪れた。

 開銀では研究員として留学した場合は一年間で帰国するのが原則だったが、竹中は人事部にかけあって期間を延長してもらい、ハーバードからペンシルバニア大学に移って、鈴木といっしょにエイベルの投資理論の研究をした。

 アメリカ留学の成果

 小川一夫・現大阪大学教授はこのころ、ペンシルバニア大学の博士課程に在籍しており、竹中や鈴木とは大学内で会うと話をする間柄だった。大学の大型計算機の前に座って作業をする二人をしばしば見かけたという。

 「鈴木さんと竹中さんは、日本からデータを取り寄せて、アメリカで計算していました。計量経済学ではそんなにむずかしい作業ではないですけど、最初に日本に適用したからてこずったとはおもいます。計量とかデータのハンドリングは鈴木さんのほうがやっていたとおもいます。竹中さんはその結果から何がいえるのか考えるのが得意なんです」

 鈴木と竹中は本格的なエイベル研究に入る前、日本の新聞でエイベルを紹介している。日本経済新聞の八二年二月二日付「経済教室」である。当時開銀にいたエコノミストが事情を説明する。


開銀に連絡してきたのは鈴木さんでした。ほかの人が先に紹介してしまったら困るから、とにかく早く発表したい。そう鈴木さんがいってきたので、研究員たちが協力して日経新聞にかけあい、掲載が実現したのです」

 その後、鈴木と竹中はエイベルの研究論文を八二年七月、設備投資研究所が発行する『経済経営研究』で発表した。「税制と設備投資−調整費用・合理的期待形成を含む投資関数による推定」という論文だ。

 ペンシルバニア大学にいた小川によると、当初二人はアメリカの定評ある学術専門誌に論文を掲載したいという希望をもっていたという。アメリカには、論文が掲載されると業績としてカウントされる権威ある学術専門誌がある。できればそうした専門誌に発表したかったのだろう。

 しかし二人の研究はすでにアメリカでは知られているエイベルの理論に基づいているので、結局、二人はあきらめたという。アメリカではエイベル自身が論文を発表して評価を得ているわけだから紹介する意味はない。

 だが日本では事情は異なる。エイベル型投資関数に関する論文は、設備投資を研究する研究者に注目されたという。「この論文が、竹中さんたちのアメリカでの研究の成果ということになるでしょう」と小川は評した。

吉田は竹中といろいろな議論をしたというが、竹中の処女作には吉田のほかに指導教授的な役割を果たした人物がいた。竹中がペンシルバニア大学で知り合った経済学者の小川一夫である。小川はペンシルバニア大学で博士号を取得して帰国し、当時は神戸大学に在籍していた。竹中は月に一、二度の頻度で東京から神戸まで出向き、論文の手直しなどを手伝ってもらっていた。小川が説明した。

 「開銀にいたときに書いたものをまとめて本にしたいということでした。その本で学位を獲りたいということだったのだろうとおもいます。竹中さんは大学院に行っていなかったから博士号を獲りたかったのだとおもいますよ」

 小川に送られてくる論文はワープロ書きではなく、竹中が手書きで書いたものだった。おそらく忙しい仕事のあいまを縫って書き継いでいたのだろう。本を完成させる作業のなかで竹中ほ研究者としての自信を得たのではないか、と小川はいう。竹中が小川にこういったからだ。

 「設備投資の状況をみながら景気の判断ができるようになったよ」

 じつは、竹中の著作が刊行されたとき、開銀の研究関係者たちは一様に驚いた。というのも、開銀時代の論文がベースになっていたにもかかわらず、竹中が開銀側に出版の話を事前にはいっさい明かさなかったからだ。そして、竹中の著書が引き起こしたある事件が瞬く間に設備投資研究所内に波紋を広げた。

 
 問題の処女作

 事件の一部始終を知ることになった経済学者がいた。宇沢弘文である。宇沢は日本を代表する経済学者である。

スタンフォード大学シカゴ大学などに在籍して数々の研究業績を挙げ、若くして世界にその名を知られるようになった。宇沢が主宰するワークショップにほのちにノーベル経済学賞を受賞するジョセフ・スティグリッツなど、気鋭の若手学者がアメリカ全土から参集したという。アメリカから帰国した後、宇沢は東京大学で教鞭をとるかたわら、設備投資研究所の顧問として開銀の研究者たちを指導していたのだった。竹中の処女作出版をめぐる事件の顛末を聞くため、私は東京・渋谷区の閑静な住宅街にある宇沢の自宅を訪ねた。

 「ぼくは初代の所長だった下村治さんとよく話をしたんですけれども、設備投資研究所はリベラルな雰囲気をつくってやっていこうということで運営していたんです。竹中君の一件はそれを傷つけちゃったようなところがあってね。それまではリベラルな雰囲気でみんなでいっしょにやっていたんだけれども……ものすごいダメージを与えるんですよ、ああいうことは」

 じつのところ、事件の顛末を詳しく聞くことはかなわなかった。宇沢が私にきっぱりとこういったからである。

 「わざわざきていただいて悪いんだけれども、彼の一件についてはもう話もしたくない、というのがぼくの率直な気持ちです」

 なにが起きたのか。当時の関係者の話から浮かび上がってきた事実を記してみたい。
 竹中の処女作『研究開発と設備投資の経済学1経済活力を支えるメカニズム』が東洋経済新報社から出版されたのは八四年七月だった。宇沢のもとにも竹中から献本が届けられた。

 「竹中君がこんな本を送ってくれたよ」

設備投資研究所で、宇沢はそういって鈴木和志に本を見せた。鈴木との共同研究が入っていたからだ。ところが鈴木は本を見て驚いたような顔をしている。不審におもって宇沢がたずねると、鈴木には献本はなく、竹中の出版を鈴木はまったく知らなかった。鈴木が激しいショックを受けたことは傍目にもわかった。宇沢や同僚たちのいる前で泣き出してしまったのである。

 じつは、竹中は本を出版するかなり以前に鈴木のもとを訪れていた。共同研究の成果を竹中の名前で発表することの承諾を求めたのである。
鈴木は拒否した。

「二人で研究したのだから、発表するなら二人の名前で発表してほしい」

 鈴木は竹中にそういった。結局、話し合いがつかず二人は別れた。鈴木はこのあと竹中から何も知らされず、しかも突然出版された本には、承諾しなかった共同研究の成果が収められていた。

鈴木にとってもアメリカでの研究生活の集大成だった論文だ。
悔しさのあまり涙を流したのだろう。

 共同研究を独り占め

 竹中と鈴木の二人が共同研究論文を発表した経緯は前に述べたとおりである。竹中の本が出版される二年前、設備投資研究所発行の『経済経営研究』で発表した「税制と設備投資」と題する論文が二人の共同研究だった。

 エイベルの投資理論を日本経済に適用した実証研究は、竹中の処女作の価値を高める重要な論考だった。そこには「税制と設備投資」で行った実証研究の結果が引用されている。ペンシルバニア大学で二人の作業を見ていた小川の証言では「データのハンドリングは鈴木さんのほうがやっていた」ということだから、実証研究では鈴木が主導していたことになる。

ところが、鈴木との共同研究に基づくものであるということは、巧妙ともおもえるやり方でぼかされていたのである。

「あとがき」のなかで本の内容のもとになった初出論文を竹中は列挙しているのだが、鈴木との研究についてはなぜか日経新聞八二年二月二日付「経済教室」を挙げている。
先述したように、早くエイベルを紹介しておくために書いたいわば紹介記事といってもいいものだ。二人が本格的なエイベル論文を書くのはその後である。

 ささいなことにおもえるかもしれないが、鈴木にとっては非常に重要な記述である。日経記事が二人の共同研究だとすれば、一般の読者は、竹中がその後ひとりでエイベル理論の研究を深めたと解釈するだろうからだ。

一方、肝心の鈴木との論文「税制と設備投資」を、竹中は数多く列挙した参考文献のなかに入れてしまっている。鈴木との共同研究に関しては、本格的な論文のほうは参考文献にすぎず、本のベースにしたのは新聞記事だと竹中はいっているわけだ。

 鈴木が共同論文の成果を竹中単独の著作のなかに入れることを拒んでいたことを考えると、竹中が考え出した巧妙な仕掛けだといわれても仕方がないだろう。

 現在明治大学教授となっている鈴木と電話で話をすると、「あまり思い出したくないことなので」と言葉少なだった。本が出版されて以降、竹中とはまったくつきあいはなくなったという。本の内容についてたずねようとすると、「みたくないからみていません」とだけ鈴木はいった。

 開銀の成果も個人の成果に

 「鈴木さんとなにかあったみたいだけど大丈夫なのか」
 出版直後、鈴木とトラブルが起きていると耳にした開銀の同僚が心配して竹中にたずねると、彼はこう答えたという。

 「鈴木さんのところはちゃんと切り分けてやったよ。だから大丈夫だよ」

じつは竹中の処女作を見て驚いたのは鈴木だけではなかった。開銀の後輩研究者だった高橋伸彰は、自分が作成したはずのグラフが竹中の本のなかに掲載されているのを発見して驚いた。

 開銀の定期刊行物『調査』で発表した論文のなかで作成したグラフだ。
縦軸に設備の年齢(新旧)をあらわす「ヴィンテージ」、横軸に「投資率」をとって描かれた曲線は設備の新しさと投資率の関係を示す重要なグラフだった。

竹中の著作ではグラフの下に小さな字で「各年のヴィンテージは日本開発銀行推計」と書いてあるが高橋の名前はない。これでは竹中が独自に作成したグラフだと読者が勘違いしても無理はない。

現在立命館大学で教鞭をとっている高橋は研究室でこう話した。

「最初見たときはびっくりしましたよ。しょうがないなあとはおもったけど、竹中さんにはいってません。そのことよりぼくが不思議におもったのは、あの本が設備投資研究所の成果、特に石油ショック以降の研究を集大成した内容だったことです。だから個人名の著作として出版されたことに違和感をもった」

 開銀研究者には隠すように、しかも鈴木とのあいだで問題が起きることは目に見えているのに、なぜ竹中は本の出版を強行したのだろうか。

  サントリー学芸賞受賞

 竹中の処女作出版に尽力した人物がいる。開銀の上司だった佐貫利雄である。佐貫は、自分の担当編集者だった先述の渡邉昭彦を竹中に紹介したのだ。
 佐貫が日ごろから竹中に繰り返し言っていたことがある。

「単著を書け。共著を書いても意味がないぞ」


単著とは単独での著作物のことである。経済学では共同論文は珍しくないが、その際は執筆者は複数になる。これが共著である。アカデミズムに認められて学者に転身するためには、まず単著を書いて博士号を取得することが必要だと佐貫は説いていた。実際に佐貫が実行した方法でもある。共著では博士論文として提出するときに支障があるし、業績として申告する場合にも単著よりはるかに価値が下がるからだ。

 竹中の執筆に協力した小川は、竹中には博士号を獲る意図があったのだろうと証言していた。竹中が単著にこだわったのもそのためだろう。出版された時期は、ちょうど当初の大蔵省出向期限が切れる間際だった。竹中としても背水の陣をしいた賭けだったのだろう。担当編集者だった渡邉はこんな感想をもらした。

「大学院を出てなくても開銀では排除されても、単行本でなら勝負できると感じて実際に勝負したんだとおもうよ」

 竹中の処女作『研究開発と設備投資の経済学』は一九八四年度のサントリー学芸賞を受賞した。選考委員の森口親司・京都大学教授(当時)の選評には
「著者は以前に日本開発銀行設備投資研究所につとめていただけに、研究上の有利さがあった」

との記述がある。大蔵省に出向して事務仕事で長富の信頼を得た竹中は出版賞を受賞したことで、研究者としても存在感を示すことができるようになったのである
http://tech.heteml.jp/2005/11/post_189.html



竹中平蔵

 彼は、1951年3月3日、和歌山市に、竹中靴店の次男坊として生まれた。和歌山と言えば、世耕弘成(ひろしげ)氏や二階俊博氏を思い出す。とりわけ、世耕氏とは、そのズル賢さと世渡りのうまさ(?)で、竹中氏は、非常に波長が合ったのではないだろうか。

 竹中氏は、出身大学は一橋大学経済学部だが、実は、彼は東大を目指していた。

ただ、例の安田講堂事件で、東大が入学試験をできない年(1969年)に受験を迎えていた彼は、結局、東大を受験できなかった。もし、受験の機会があれば、彼は当然、東大に挑戦し、きっと合格していたのではないだろうか。

 そのような次第で、1973年に一橋を卒業後、彼は、日本開発銀行に入行した。同行員時代に、彼はハーバード大学に留学し、「設備投資」に関する研究をした。だが、同大の博士候補者試験には合格できなかった。私観を述べれば、1〜2年間の留学だけでアメリカの名門大学で学位を取得しようなどというのが、本来、無理だと思う。

 1982年、彼は、大蔵省財政金融研究室(のちの財政金融研究所)に出向して、そこの主任研究官となる。普通は2年間だが、彼は5年間在籍した。この期間が彼の実質的な“大学院生活”だったと言えよう。竹中氏は、この出向期間中に、研究所次長として上司になった長富祐一郎氏(のちに大蔵省関税局長)に気に入られ、1987年に歴代大蔵省キャリアの天下りポストである大阪大学経済学部助教授に押し込んでもらった。

この時代に、一橋大学に前述の論文に加筆したものを提出し、経済学博士の取得を試みたものの、教授会の審査で不合格となる。それで、彼は、一橋大学での博士号取得を断念した。 

 正直、私は自らの経験上、自分の学位論文が母校で蹴られたような人物の論文や知性など大した物ではないと感じる。竹中氏は、私の目から見れば“偽物の学者”だ。

学問は、単なる専門的な知識の量ではない。不屈の想像力や感性、それに真の“オリジナリティ”が必要だと思うのだ。

だが、竹中氏に、真のオリジナリティがあるだろうか? 

私はないと思う。実際、なかったから、彼の母校の一橋大学で、彼の学位論文は蹴られたのだ。

学問的なオリジナリティは本来、他者に有無を言わせぬ“迫力”がある。

その他者(=評者)を圧倒するような迫力(=オリジナリティ)があれば、きっと一橋大学は、彼に学位を授与したことだろう。だが、彼の論文には、多分、その“迫力”(=オリジナリティ)がなかったのである。

 ただ、その2年後、彼は、ハーバード大学客員准教授に就任した。だが、これは、長富氏と本間正明大阪大学経済学部教授の引きによるものだった。

これによって、同年、慶応大学政策学部助教授、1996年、同学部教授の道が開かれた。この間、1994年に、竹中氏は本間正明教授の後押しで、大阪大学にて博士(経済学)を取得した。明らかに、これは“同情の産物”だと思うのだ。

 慶応大学で、竹中氏は、日本の政界に影響力を持つ加藤寛氏(慶大名誉教授、元政府税調会長)の知己を得て、彼の推薦により政府諮問機関に入った。そして、2001年4月の小泉内閣発足に伴い、竹中氏は、経済財政担当大臣に起用されるに至った。大蔵官僚だった長富氏との縁が、竹中氏のキャリアアップの鍵となったことは間違いないが、それ以上に、竹中氏にとっては、加藤寛氏との出会いが決定的だったと思う。加藤氏は慶大で、小泉氏や小沢一郎氏、それに橋本龍太郎氏の恩師でもあったからだ。事実、加藤氏は、竹中氏からの相談を受け、政界入りを強く助言したのだ。

 その竹中氏が、アメリカのゼーリック氏(当時の国務省副長官)の指示に従い、「郵政民営化」を推し進めたわけだ。

それも、決して日本国民のためにではなく、あくまでアメリカの財閥のためにである。

このゼーリック氏が、例のゴールドマンサックスの幹部だったというのも、明らかに“裏”を感じる。

つまり、この人脈が、今日のヘンリー・ポールソン(現財務大臣)へとつながるわけだ。そして、それがまた西川善文氏に連なるのは、もはや自明のことなのだ。

 とりわけ、竹中氏は、平気で嘘をつける人のようだ。それこそ、眉ひとつ動かさず、それができる感じだ。

それも政界に入ってそうなったのではなく、元々そういった“素質”(?)を持った人だったのではないだろうか。

彼に煮え湯を飲まされた人は、結構多いと思う。生田正冶(まさはる、元日本郵政公社社長)氏などは、その代表格の一人だろう。

 識者の言によると、竹中氏は生田氏に対して、「小泉首相の最大の関心事は、2017年の新会社の姿にあります」と語ったという。それゆえ、2007年4月からの10年間は準備期間なので、さまざまなことを弾力的にやってもらって構わない、と生田氏に請け合ったと言うのだ。それに、情報システムにしても、間に合わなければ、四分割がずれ込むことさえ止むを得ないという言動だったという。実直な生田氏も、竹中氏の言を心底信じた。

 ところが、竹中氏は豹変した。小泉氏の命に服して、とにかく2007年までの四社分割実施と、その後、首相交代があっても、2度と郵政民営化路線が覆ることのない「不可逆性」の確保を、生田氏に要求したのだ。

元々、郵政職員の国家公務員資格の剥奪と、その“早期実施”にやっきとなっていた小泉氏が、先ほどのような甘言を弄するはずがない。だが、竹中氏は、前からそういった小泉氏の本音や思惑を十分知りつつ、その場しのぎの甘い言葉を、生田氏に持ち掛けたのだ。


 生田氏は、全郵便局員(=当時の郵政公社社員)に「真っ向サービス」を求めたように、一流の実業家であると同時に、実に一本気な人だったと思う。少なくとも、彼は、万事いい加減な竹中氏や小泉氏たちとは、まったく対照的な人物だったと思うのだ。

竹中氏は、そのような生田氏の誠意を逆手にとり、平気で彼を裏切ったのである。

彼の「平蔵」という名前の由来は、もしかして、どんな嘘でも”平気で言うぞう!”という意味から来ているのではないだろうか。

 多くの人々が、竹中氏の物事のまとめ方として、言質を与えておいて、後で反故にすることが常套手段だという。

つまり、「保証する」と語っておいて、後で臆面もなく、そんな約束はしていないと帳消しにするとのことだ。こんな人物と話す時には、語り合う前に、たっぷりと眉に唾をつけて臨みたいものだ。

 有り体に言うなら、竹中氏は、まったくの“詐欺師”である。

それゆえ、テレビで観る彼は、あまりいい顔をしていない。いつも平気で嘘をつき、それをいつ糾弾されるかと常に戦々恐々としているからだ。

はっきり言って、彼は、人間的に“偽物”だと思う。

だが、今のテレビ界(とくに、東京のそれ)が“偽物工場”なので、彼のような低劣な人物が今でも大手を振るい、周囲もまだ彼をチヤホヤしているわけである。

 竹中氏のようなメッキを張った人物は、“誠”の心を持つ“本物の人物”との対面・対話を避ける傾向がある。

実は、郵政民営化法案が通過する前、同民営化に反対だった森田実氏と彼の対談をあるテレビ局がセットしたことがある。初めは、竹中氏側も、対談をOKしていたようだ。だが、彼は、間際になってドタキャンをした。

 言うまでもなく、竹中氏は、森田氏の厳しい追及から逃げたのである。事実、公に討論していれば、竹中氏はテレビを通して、国民の目の前で森田氏に完膚なきまでに論破されていたことだろう。そうなれば、当時の世論の風向きも、当然変わったはずだ。その世論の風向きを変えないために、彼は、卑怯にも森田氏に背中を見せたのである。

 そんな竹中氏のお蔭で、さらには例のゴールドマンサックスを仲介にしたブッシュ政権から望まれて、日本郵政株式会社の第一代社長に就任したのが、西川善文氏である。竹中氏は、小泉氏の在任中にその布石を打った。まさに、それは“虎の威を借る狐”だった。
http://www.pluto.dti.ne.jp/~mor97512/WA2-12.HTML


竹中平蔵氏の“欺瞞”を最もよく知る植草氏

 最近、植草氏の著書『知られざる真実―勾留地にて―』(イプシロン出版企画)を読んだ。これは後世に残る名著だと思う。実に内容の濃い気高い“魂の書”である。

 同氏のブログのなかには同書を説明してこう書かれている。「小泉竹中経済政策の深い闇を抉る戦慄の告発書」「満身創痍にひるまず、権力に立ち向かう著者が小泉竹中経済政策を一刀両断に斬る救国の告発書」と。「満身創痍」という言葉は決して大袈裟ではない。

 小泉・竹中経済政策がいかに売国的で国民を裏切るものであったかは、年々歳々、明白なものとなっている。「郵政民営化」がその典型だ。無論、植草氏をはじめ心ある識者には、小泉政権が邪悪な従米主義を本質としたものであることは自明のことだった。加えて、同政権がどれほど財務省の言いなりであったかということも周知のことだった。その小泉政権売国的体質を最も深く認識していたのが、実は植草氏だったように思うのだ。

 竹中氏にとって植草氏はちょうど10歳下の経済学者だ。竹中氏は、同業の植草氏に異常なほどの羨望と脅威を感じたことだろう。そのことは容易に想像できる。というのは、植草氏の客観的な経済分析能力は竹中氏をはるかに凌いでいると思うからである。

なぜなら、竹中氏はミルトン・フリードマンの「新自由主義(=市場原理主義)」なる欺瞞的な経済理論の“単なる信奉者”に過ぎなかったからだ。

簡単に言えば、竹中氏の経済理論なるものは単なる“屁理屈の受け売り”に過ぎないと思う。

 私は竹中氏を学者だとは思わない。

本来、学者は「真理」に対して謙遜、かつ公平でなければならない。また、自らの持論を「多の中の一」と考えるだけの客観性がなければならない。だが、彼は微塵もそのような謙遜さや客観性を持ち合わせていないと感じる。

 いまでも竹中氏は性懲りもなくテレビ朝日系の番組に出演している。だが彼は、人と議論しても、同じ土俵で論じ合うというよりもむしろ自分で勝手に土俵をつくってしまい、そこで自ら覚えた(?)議論をまくし立てているように感じる。

換言すれば、彼は学者というよりもむしろ欺瞞的で偏狭な宗教家(=原理主義者)に近いように思うのだ。

だが何より問題なのは、彼がアメリカ大資本の悪辣な“手先”の一人だということだ。 
これに対して、ジョン・M・ケインズを敬愛する植草一秀氏は、日本国内の現実を直視した正当な経済理論を展開する。その卓越した経済分析はまさに超一流である。2004年4月、彼が不当に逮捕される前、テレビ番組『ウェークアップ』などでのコメンテーターとしての活躍は目を見張るものがあった。植草氏には、単に優れた分析能力だけでなく、むしろ人一倍の正義感とヒューマニズムが感じられた。それゆえに魅力的だったのだ。

 私は、植草氏と竹中氏は「月とスッポン」「提灯と釣鐘」だと思う。「太陽」と「月」ぐらいの違いさえあろう。端的に言えば、“ホンモノ”と“ニセモノ”の違いがある。

竹中氏が“ニセモノ”であるゆえに、同じ“ニセモノの政治指導者”小泉純一郎氏に重用されたのだと思う。私は、両者は同じ“ニセモノ”であるゆえに“波長が合った”のだと感じる。

 竹中氏の欺瞞を最もよく知っているのが植草氏ではあるまいか。それゆえ彼は、虐げられた日本国民を覚醒するために、本著を書かずにはいられなかったと思うのだ。
http://www.pluto.dti.ne.jp/~mor97512/WA2-63.HTML


私は、竹中平蔵という存在を、経済学者ともエコノミストとも思っていいないし、むろん、政治家とも思っていない。

もっと深く怪しい、曖昧な、意味不明の人格と考えている。
むろん、彼の唱える経済学なるものも同じだ、と思っている。

言うなれば、竹中平蔵の経済学には、ドストエフスキーラスコーリニコフに見られたような哲学的素養と深い根源的な思索というものがない。つまり竹中平蔵には経済の情勢論や政策論はあるが、経済の原理論や本質論が欠如している。

マルクスケインズハイエクシュンペーター等、経済学の思想的巨人たちに関する言及や著書が、竹中平蔵にほとんどないのは、そのためであろう。

その代わり、彼は、権力を握った政治家に取り入るのが無類にうまいし、そういう政治家を信用させる詐欺師的弁舌にたけている。

竹中平蔵から学ぶべきことがあるとすれば、その学界・政界の遊泳術と詐欺師的弁論術だけだろうが、それこそ心ある日本人の最も嫌悪し、排斥する点だろう。

翻って思うに、おそらく現代日本の政治家たちほど思想的、人間的レベルの低い人種は、いまだかつて存在しないのではないか、と思われるほどだ。現代日本の政治家たちは、いとも簡単に竹中平蔵の詐欺師的弁舌に洗脳されているように見える。

竹中平蔵という、見るからに怪しい、詐欺師的人物に惚れ込み、その「立て板に水」という言葉が文字通りピタリと当て嵌まるかのような詭弁的弁舌に洗脳されたあげく、なんと恐るべきことに、国家国民の命運をも左右する政策や行政を、その稀代の詐欺師・竹中平蔵に丸投げするというような、そういう「人を見る眼」のない、「思想性の欠如」した、言い換えれば「貧困の哲学」ではなく「哲学の貧困」を体現しているような暗愚の政治家は、現代日本にしかいないだろう。

要するに、政治家やエコノミストの思想的貧困が、すべての原因なのである。というわけで、おそらく、今、多くの日本人は、未曾有の経済危機がもたらす悲劇と不幸のどん底に突き落とされ、その共同体も社会システムも崩壊と解体を余儀なくされているわけだが、これらの問題は、言うまでもなく竹中平蔵という妖怪を抜きにしては語れない、と言えば、竹中平蔵本人は喜ぶだろうか。


竹中平蔵は、何故、経済学の「古典」や「本質」を語らないのか?

竹中平蔵の経済学には、経済の本質に関する議論がほとんどない。

今、私の手元に『経済ってそういうことだったのか会議』という竹中平蔵佐藤雅彦の対談本があるが、その冒頭で、竹中平蔵は、「貨幣」「交換」「価値」等について語っているが、残念ながら彼には、貨幣の本質や交換の謎、あるいは価値の発生…等の本質的、原理論的な基礎問題がまったく見えていないようである。

「牛乳瓶のフタ集めの話」であるが、ある時、竹中平蔵少年が牛乳瓶のフタを集めはじめると、しばらくして学校中で「フタ集め」がブームとなり、フタ集めとフタ交換を繰り返すうちにフタに価値が発生し、竹中平蔵少年は「フタの大富豪」になったというわけであるが、それだけの話である。

わずかに「信用」ということが語られるだけで、「貨幣」「交換」「価値」等の経済学的現象の奥底に潜む謎に、まったく関心がないようである。

もし竹中平蔵に経済学や経済学説史に関する深い素養があるならば、是非ともうかがいたいものだが、竹中平蔵にはそういう深い素養は皆無だろう。

竹中平蔵の言う「構造改革」や「規制緩和」「財政出動無効論」、あるいは「緊縮財政」「郵政民営化」「小さな政府」論等は竹中平蔵のオリジナルの思想ではなく、それぞれ経済学的な理論的背景と学説史があるのだが、竹中平蔵はそこの理論的背景と学説史を隠蔽したまま、まったく語ろうとはしない。「現代の経済学では常識ですよ。そんなこと、当たり前じゃないですか」と語るだけである。

繰り返して言うが、経済学や経済政策をめぐる竹中平蔵の理論のほとんどは、借り物の理論であり、受け売りの理論であり、借り物や受け売りが一概に悪いというわけではないが、いずれにしろ、そのオリジナルはアメリカにある。 

竹中平蔵式経済理論の核心は、需要拡大によって景気回復を試みるケインズ主義批判である。ケインズ理論では、不況の原因は需要の不足による消費後退、つまり生産能力はあるが商品が売れないデフレ・ギャップの発生である、と考え、財政出動、あるいは公共投資などによる需要拡大こそ景気回復の指標になるとする。

しかし、アメリカでは、ケインズ主義的な需要拡大による景気回復という思想は、少なくともアメリカ経済学界では、理論的に否定され、完全に歴史の遺物と看做されて、つまり「ケインズはもう古い」「ケインズは死んだ」というのがアメリカの現代経済学の主流であり、流行思想である。

竹中平蔵もそうしたアメリカの現代経済学を鵜呑みにして、それを無批判に受け入れ、日本国内でそれを、「構造改革」や「規制緩和」「財政出動無効論」、あるいは「緊縮財政」「郵政民営化」「小さな政府」論などとして、政策的に現実化したと言っていい。

しかし、竹中平蔵は、その理論的根拠を明かさない。まるで自分のオリジナルな思想のように語る。そこで、竹中理論なるものの理論的背景を暴露しておこう。


竹中平蔵よ、「マンデル・フレミング効果」「クラウディング・アウト現象」「ルーカス批判」を隠蔽するなかれ。

ケインズ批判の理論的根拠になっているのは、「マンデル・フレミング効果」理論と「クラウディング・アウト現象」理論、あるいはルーカスの「合理的期待生成」理論、もしくは「小さな政府」を主張するリバータリニズムなどである。マンデル等の主張する「クラウディング・アウト現象」とは、財政赤字が巨大化している時、総需要拡大政策をとるためには財源が必要であるが、その財源を国債発行に求めるのがもっとも容易で安全な選択であろうが、しかしそこに経済学的に問題がある、というわけだ。

つまり、国債の発行(国民がそれを買い取る…)によって市中の民間資金が国庫に吸収され、結果的に民間資金の不足が発生し、民間資金の不足が市中金利の高騰をもたらし、やがて資金不足から民間投資が冷え込み、景気回復が挫折する、という論理である。マンデルらはさらに、ここから、市中金利の高騰は、その国の通貨の高騰を招き(例えば、円高…)、その国の輸出産業が壊滅的な打撃を受け、景気回復は挫折する、という「マンデル・フレミング効果」理論を展開する。

したがって、マンデルらは、ケインズ主義的な「総需要拡大政策」は無効だ、と主張することになる。ケインズ経済学批判は、ロバート・ルーカスの「ルーカス批判」で決定的な段階を迎えるが、それ以後、「ケインズ経済学は古い…」「ケインズ的経済政策は無効だ・・・」という言説が、アメリカだけではなく日本でも、無批判的に蔓延することになったわけだが、では「合理的期待形成学派」のルーカス教授の「ルーカス批判」とは何なのか。はたしてそれは信頼にたる批判なのか。

そもそもフリードマンやルーカス等によるケインズ批判の哲学的背景はどこにあるのか。ルーカス革命の実態は如何なるものなのか。その核心にある哲学とは何か。たとえば、ルーカス批判の理論の一つは、「経済学者たちの代替的政策提案に対する評価は、人々の適応的期待とその影響による行動を考える必要がある」という理論である。


要約すれば、ルーカス批判のポイントは、「ケインズ的な従来の経済政策においては標準的なマクロ経済モデルに依存するだけで、人々の適応的期待とその影響による行動を考慮していない」ということになる。では、「適応的期待とその影響」とは何か。

例えば,「近々インフレが起きる」という期待が形成されると仮定しみる。すると,労働者は、賃金交渉の場で、「少なくともインフレの分だけ給料を上げてくれ」という要求が出すだろう。次に、経営者側は、賃金の上昇は企業にとってはコストの増加につながるから,企業は製品価格を上げようとする。その結果,いろいろな製品の価格が上昇して実際にインフレが生じることになる。

このように,期待形成はいろいろな経路を通って実現することが多い。したがって、「政府は、このような期待の効果を十分に考慮した上で政策を行う必要がある」というわけだ。しかるに、ケインズ経済学では、この「期待形成とその影響」が無視されている。これが「ルーカス批判」の核心命題である。

むろん、ケインズ経済学でも、「期待」という問題を完全に無視しているわけではない。しかしケインズ経済学が想定している「期待」は、過去の値を予測値として使う「静学的期待」であるのに対して、ルーカスの「期待」は、現在入手できるあらゆる情報を使って予測を行う「合理的期待」である、と主張する。「ケインズ的静態的期待」と「ルーカス的合理的期待」を区別するところにルーカス批判の核心があるのだろう。

おそらく、ルーカス批判がアメリカのアカデミズムを制覇した理由は、必ずしもその理論の正当性ではなく、様々な高等数学を援用して数式や数字を駆使するその技法にある。科学主義や数学主義とも言うべきその悪しきスタイルはしばしば学問や科学の名のもとに人間の頭脳を一時的に幻惑する。一種のモダニズムである。たとえば、20世紀の哲学界を一時的に席巻した科学哲学や論理実証主義の台頭の場合に

も、「科学」「記号論理学」「数学」を武器に、「ヘーゲル哲学の迷妄」が批判され、罵倒され、嘲笑された。数字や記号を使わない哲学は「過去の遺物」だというわけである。しかし言うまでもなく、哲学は、数学や科学の「基礎」や「前提」を問う学問である。数学や科学を道具として使えば、簡単に批判できるというのは大きな錯覚である。

たとえば、近代哲学の父と言われるデカルトはそもそも数学者であったし、カント哲学はニュートン物理学の哲学的基礎付けである。経済学の世界でも、数字や数式の前に哲学や形而上学が忘れられ、隠蔽される。 


最後に、竹中平蔵の「小さな政府」論について述べて終りにしよう。

「小さな政府」論は、ブキャナン等の「公共選択論学派」の思想と理論からの受け売りと切り売りであり、その理論的根拠も学問的背景も知らずに、絶対的真理のごとく盲信し、思考停止状態で政権運営に当たっていたのが小泉政権であった。

アメリカで「小さな政府論」を理論的に主張するグループがもう一つある。これも冷戦勝利後に急速に勢いを増しているグループだが、リバータリアニズムとかリバータリアンと呼ばれる一派である。

たとえば、竹中平蔵等が主張する「小さな政府」論とは、言うまでもなく何もしない政府(笑)…のことである。そしてその行きつく先は政府そのものが必要ないと言う無政府主義アナーキズム)である。むろん、これは極端な議論だが、「小さな政府」という美しい言葉がその背後に無政府主義的な国家解体への思想的可能性を秘めていることは憶えておいてよい。

竹中平蔵が大衆洗脳に使った言葉に、「公務員を減らせ」「官から民へ」「既得権益の打破」というプロパガンダがあったが、それは、無意識のうちに国家解体の可能性を夢想していたはずである。

竹中平蔵の経済学には、ドストエフスキーラスコーリニコフ、あるいはマルクスケインズ柄谷行人等に見られたような哲学的素養と深い根源的な思索というものがない。つまり竹中平蔵の経済学には経済の情勢論や政策論はあるが、経済の原理論や本質論が欠如している。

いずれにしろ、「かんぽの宿疑惑」を初めとして、「小泉・竹中構造改革」の暗部が暴き出されようとしているが、同時に、小泉政権下で、政府を誤った方向へ導いた稀代の詐欺師・竹中平蔵の経済学が、受け売りと借り物と、そしてそれの隠蔽とからなる「トンデモ経済学」であったということが暴き出される日も、近いだろう。」
http://asyura2.com/09/senkyo61/msg/210.html



竹中平蔵の経歴は、

一橋大学経済学部卒業後、日本開発銀行入行→同設備投資研究所

ハーバード大学ペンシルバニア大学客員研究員→大蔵省財政金融研究所主任研究官

大阪大学経済学部助教授→ハーバード大学客員准教授、国際経済研究所(IIE)客員フェロー
慶應義塾大学総合政策学部助教授→同教授→経済学博士。


というものであるが、これも日本の大学の官界、産業界、思想界、政界からの独立性の低さを如実に物語っている。

まず、彼は国立大学卒業し、エリートコース(といっても学歴と “育ち”だけで測られたものだが)の開発銀行に就職している。 さらに、そこの研究所から、英語力にものを言わせてアメリカの大学の客員研究員にジャンプする。そこから官庁の研究所(内実は下請け)へ行き、これらの経歴を合わせて阪大の経済学部の助教授に納まる。

しかし、ここまでの内容からは、アメリカの大学で研究を手伝った(客員研究員とはそういうものである)ことと下請けの情報整理をしたことを除いて、経済学の研究者としての業績を見つけることはできない。

その後も海外では「客員(手伝い)〜」のポジションのみをマスターし、この手のキャリアとコネと年功序列制との組み合わせから、慶応で博士号を得ている。

要約すると、竹中は、日本によくいる「アメリカとの距離を媒介する」タイプのエリートであり、こういった学歴・経歴をうまく運んで経済学者のふりをしているにすぎない。


竹中平蔵は経済学者ではないのだ.

それはちょうど、竹中の所属しているサプライサイド派が経済学ではないように。

彼は単に、メディアや学歴、地位、名声を駆使して必死に八百長を演じていた男にすぎないのだ。

そういうところは日銀総裁に就任したノーパン福井と変わらない、
典型的な日本の似非エリートだ。

さて、そんな似非経済学者である竹中平蔵が、ニューエコノミー論というインチキジャンルに寄生しはたまた先端の思考実験の意味合いが強いモデルに便乗し、自身の専攻分野としてマクロ経済学に取り組んでいる。

ここで、竹中平蔵とこのサプライサイド派の始祖たちとの間にいくつかの共通点があることが確認できる。

一つは、総需要後退局面(不況)を、「経済にとって大した問題ではない」と位置付けていたところ。

さらに、金融政策は経済の根幹部分を握っているという正統派経済学の結論をかなり限定的にしか採用しておらず、政策観としてはこれを軽視していたところ。

まだある。
メディアやロビイスト、政治家、コンサルタントを用いて、学界で正当な意見だとは認められていない自説を売り込んでいくところ。経済政策という国民の命に関わる重大問題を、ファッション感覚で語り、
また実務において処理しようとすたところ。

若い頃、左翼学生運動にのめり込んだ団塊全共闘世代やその子供たちに喝采を浴びて受け入れられるところ。正統派経済学者や正統派経済学に基づいて政策立案する実務家の主張を驚くほど採用していないところ。特に

<自分の考えは論理的に非の打ち所がないと信じていたので、基本的に実証分析に頼る必要がなく、学界の主流派は実証結果だけでなく、経済原理も間違っていると考えていた>

あたりは竹中はクルーグマンが揶揄しているサプライサイダーそのままの姿である。


サプライサイド派はジャーナリズムの世界以外ではおおかた無視され続けてきた

サプライ・サイド経済学を信奉するような経済学部は有力な大学にはないだけではなく、
有力な学部にはサプライ・サイダーと呼ばれるような経済学者は一人もいない

それでは一体、サプライ・サイダーはどこから来たのだろうか。
彼らは、ジャーナリズム、議会スタッフ、コンサルティング会社といった
経済学の周辺部分から出てきたのである。

こうした人々は、学術雑誌に論文を発表するのではなく、新聞の論説欄や
パブリック・インタレスト誌のようなやや大衆向け雑誌の特集記事で自分の考えを述べている。

1970年代、バートレーとワニスキー(引用者注:サプライサイダー)は、
ミルトン・フリードマンやロバート・ルーカスといった保守派を含む経済学の
主流派が見つけられなかった経済学の基本的な真理を発見したと確信し、
大勢の政治家たちにもそう信じ込ませたのである。

サプライ・サイド経済学の主要な論点をまとめると、以下のようになるだろう。
第一に、需要サイド政策、とくに金融政策は、全くの無効であるというもの。
第二に、減税のインセンティヴ効果は大変大きく、税率を下げることで経済活動が
急激に活発になり、減税幅を上回る税の増収が期待できるというもの。

サプライ・サイダーは、自分たちの考えは論理的に非の打ち所がないと信じていたので、基本的に実証分析に頼る必要がなく、学界の主流派は実証結果だけでなく、
経済原理も間違っていると考えていたのである。

言い方を変えれば、サプライ・サイダーは奇人なのである。


ロバート・バートレーは、その自己満足的な著書である『ザ・セブン・ファット・イヤーズ』の中で、サプライ・サイド経済学は、ウォール街のレストラン「マイケル1」で何度か夕食をとっているうちに生まれた、と述べている。

そこでバートレーとラッファーは、ケインズ経済学が論理的に一貫していないという、
何百回もの学会が行なわれながらもポール・サミュエルソンを含む多くの人々が見過ごしていた事実を発見した。

また、金融政策は経済に重要な影響を与えうるというミルトン・フリードマンの考え方は間違っているという、辛辣で率直なシカゴ・セミナーが約30年にわたって綿々と続く間にもフリードマン、ルーカス、そして他のシカゴ大学の教授陣が見過ごしていた事実をも発見した。

そして、夕食をとりながらたどり着いたこうした深遠なる結論は、驚いたことにほとんどがウォールストリート・ジャーナル紙の論説欄やクリストルが編集していたパブリック・インタレスト誌に掲載されたのである。

バートレーが集めて売り込んだサプライ・サイダーは、単なる保守派経済学者の集まりというには、いくぶん風変わりで無謀であり、単なる一学派というよりは、むしろ特異な宗教集団のように見えるのである。

しかし、「マイケル1」でディナーをとっていたバートレーとラッファーは、
総需要の問題をうまく回避できると思ったのである。
ケインズからルーカスに至る多くの経済学者が、中央銀行の金融調節が経済に大きな影響を与える理由を説明しようと多くの時間を費やしてきた努力が、またしてもこの夕食の席で間違っていたことになったのである。


『経済学派分類』

1.伝統的経済学派(ケイジアン→ニューケインジアン
総需要管理政策(財政政策・金融政策)による景気のコントロールは可能とする立場。
この学派が政治的勢力と結びつくと、公共事業推進派が生まれ、
利権屋の方便として我田引水的に引用される傾向がある。

2.新古典派
総需要管理政策は無効であり、経済の発展にともなって通貨供給量だけを管理すべきという立場。
まともな新古典派の学説は傾聴に値する面もあるが、大抵の場合はネオコンと結びついた新自由主義という
政治的勢力に我田引水的に流用されてるだけで、ほぼデンパと言ってよい。
経済学的本流は、すでにニューケインジアンと合流している。
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(傍系) サプライ・サイド
1980年代にアメリカで麻疹のように流行し、その後の世界経済の混乱(アメリカの双子の赤字プラザ合意、日本のバブル)をもたらした戦犯。経済学の一分野として認知さえたことは一度もなく、新古典派がニューケインジアンと合流してしまった後に、取り残された市場原理主義者たちが、細切れの経営者的発想を持ち寄ってできあがった、1つ1つはバラバラの、一見正しそうに見えて実は正しいとは限らない理屈の集合体。

サプライ・サイドを信奉するような経済学部は有力な大学にはないだけではなく、
有力な学部にはサプライ・サイダーと呼ばれるような経済学者は一人もいない。
日本では竹中平蔵がサプライ・サイダーとして位置づけられている。

もちろん、一橋の経済学部をいい成績で卒業しているし、実務をこなしてきているし、教職に立って経験を積んでもいるから、ある程度は自説を有力に主張することもでき、また経済学の教養もある程度は身についているのだろう。

だが、所詮そんなちょっと詳しいアマチュア君に過ぎない彼が、いっぱしのマクロ経済学者という名目で担当大臣にまでなっていたとは、はっきり言って狂気の沙汰だ。

しかも、彼のベースとしているのは経済学界でも有名なインチキ似非経済学=サプライサイド理論なのである。こんな男が、「経済財政担当」「金融担当」という国の柱ともいうべき重要なポストにのさばっていたことが日本経済の悲劇であった。


工作員 竹中平蔵の遍歴】

①1990年2月の日米構造協議において、アメリカ側が貿易不均衡問題を日本の責任で是正するように迫り、GNPの10%の公共事業を行うことを要求。この要求にたいして同年6月の日米構造協議で、海部内閣は総額430兆円の公共投資計画を約束。

②1994年10月、ナポリ・サミットの日米首脳会談において村山内閣が更に200兆円の公共投資を上乗せすることをクリントン大統領に約束し、国際公約とする。公共投資計画は総額630兆円に拡大。

③1994年、竹中平蔵が『民富論』(講談社)を出版。自著において「社会資本充実が日本の生きる道だ」「530兆円を投資せよ・外圧に頼らない内需拡大を実施せよ」と主張。この頃からアメリカ側の工作活動を忠実にこなすエージェントとと