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「士農工商と皇族、神官、坊主」

士農工商と皇族、神官、坊主」   、
江戸の身分制度は武士の作った物であるが

坊主、神官、皇族はどこか?

このことが明らかにされていない。では士農工商とはなんなのか?

ようやく日本が自分の姿を自分の頭で考えるようになったようだ。

三島や小室氏なども天皇で思考停止する不思議な構造を持っている。

血統に対する強い信仰が文化の基盤にある。不思議なことに血統が秩序の中心にある。

これと似ているのはユダヤ王族の世界である。西欧はじつは部族社会なのである。その上に宗教が乗っかっているが、キリスト教と言う

一種の共和制度。。坊主の互選でえらばれる法王に対し、相続される資産=貴族部族 が対立する構造だ。

フランス革命は、ユダヤのお金持ち部族=金融部族が、 武人部族=王侯貴族 とキリスト教共和主義ー教会

を絶滅せんとした戦いである。 金融貴族は他を否定するために民主制度、人権宣言を作った訳だが、その下敷きは

キリスト教である。キリスト教世界宗教である理由は、部族の否定だからである。 逆にユダヤ教世界宗教たり得ないのは

部族肯定だからである。血統信仰が核にある

だから、他の部族をブタ呼ばわりをする

これが日本の構造ときわめて似ているのである。日本帝国は周辺の民族をブタ呼ばわりをして占領地に神社を作りまくった。

天皇と言う血統信仰を強制したのである。それが真の日本帝国の姿だ。西欧に攻められて、苦し紛れに急に大東亜共栄圏を言い出して、協力をあおいだ。

それが西欧支配の弱点を突いていたので、広がってその上に今の植民地から独立した東アジアがある。

世界が法治国家なんてのはウソである。 士農工商のように、世界は法の中の存在と

法の外の存在に分かれる構造になっている。

中国もそうだ。共産党と言う法外の組織が

民衆を統治している。共産党の中にさらに漢民族の純血とも言うべき客家がある。

客家もとはと言えば、始皇帝がほおり出したイン、周、商の貴族連中だろう。だから中国大陸はオレの物だと想っていて、中国語で弱小民族を消し去ろうとしてる。大日本帝国=戦前の天皇と同じことをしている。

客家は血統でアイデンティティーを維持し数千年の放浪を耐えてきたのかね

どうせ天皇もこの流れだろう。縄文貴族を部落に押し込め、弥生貴族は秦の崩壊とともにジョフクと言う名でやってきたのだろう

人類は部族社会なのである。そのうえに会社組織や、法治組織、平等を主張する、世界宗教が乗っかっている。

法の前の平等と神の前の平等は全く同じ物である。両方とも人間が恣意的に決定する観念構造だから。

こういう血統信仰がなぜ残存するかと言うと、他人を故なく差別できるからである。 で、他人を差別したいがこの血統に属していない者はどうするか

神官=官僚になって、血統の権力の裏に隠れるか

民衆の代表者として、別の神をいただくか=別の天皇

法の制定者として血統を否定するか

の3つしかなくなる。

西欧の構造が 血統概念と法概念と神概念の3つの混合で成り立っているのと

全く同じことがいまも日本ではおこっている。

つまり過去の歴史理論では、現在をとらえられない。

絶えず権力中心を隠す目的が歴史学の中心課題だからだ。

DNA解析のおかげで実体としての血統が明らかにされ、文化妄想としての血統のウソを明らかにしだしたので

ついに人間は文化を相対化してとらえ始めた。

前の3者を乗り越える視点が産まれたのである。

その前は「アプリオリの権力の根拠構造」は血統図であった。そしてそれはたいていウソである。

ホモサピエンスの実体は混合物だ

共生こそ実体なのである。その上に妄想で権力を捏造し、文化が乗っかっている。

捏造する必然性は多分、飢えと労働力だ。同族に多くの食料を分け与える根拠が血統の本質だろう

エネルギー解放で飢えと食料生産労働力=奴隷 から解放されつつあるので。。ロボット化で

政治概念もかわりだすだろう。

アプリオリでなく事実と言う相対性で物事を語ることがやっと出来始めた。

物理学、数学はすでに70年前から、「絶対の否定」を行ってきたがようやく社会のインフラもそれをやりだす。相対化にたえることが出来る心象が産まれつつある。


大愚の科学讃歌;かみからの かいほううながす 相対化 せかいのはてまで とうたつす


エネルギーの解放でようやく

「受精と言う偶然で、産まれて、育って、相手を捜して 必死に子供を育てて  それで疲れて どこかが壊れて、死んでいく」

その生命の原像をようやく直視できる状態になったのかしらね。