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金融ビッグバン(01/15)国際金融資本に日本人はカモられる!?宇野正美1997 ...。2009現在、売国奴の協力によりすでにカモられた

宇野正美再評価プロジェクト!!市場自由化、グローバル化への警鐘、ユダヤ 時事教養講演会ビッグバン、誰が日本を救うのか -指導者なき国家の悲劇- 1997年7月17日大阪朝日生命ホール ニコニコ動画より転載1

1/15 http://video.google.com/videoplay?docid=5060773590624437679#docid=-5697751925437257435

1〜15話まで
天明の大飢饉はデリバテイブで起こされた・・・幕藩体制の崩壊につながる(10/15話)

宇野正美講演会 2009 03/03 1/14
http://video.google.com/videoplay?docid=5060773590624437679#docid=-6733493386441275095


2009.11.29 天明の飢饉について 別からの資料 追加

日本の歴史上最大の飢饉は、天明2年(1782)から7年にかけての「天明の飢饉」である。
最大の被害にあったのは南部藩で、藩内の餓死者が6万4000人を超えたたということになっている。
この人数は、幕府に対する藩の報告でも、当時の戸籍である「宗門改帳」でもほぼ同じなので、事実ということになっている。

ところが、地元の郷土史の専門家は地元ならではの資料を駆使して、この事実の信憑性に疑問を投げかけている。
岩手県史」によれば、「藩日誌」という南部藩の内部資料、というより「裏帳簿」には、毎年末の人口が一桁まで記録されているが、安永9年(1780)の人口が、35万7705人なのに、10年後の寛政2年(1790)は、35万7029人となっている。

餓死者が集中した時期なのに、6万人どころか676人減っているだけだ。
わずか0.6パーセントの減少にすぎず、この程度の増減は普通の時期でも毎年のように起きている。

藩内の人口が20パーセント減ったということになっている1830年代の「天保の飢饉」のときも、「藩日誌」によれば、1818年に32万6262人だった人口が、1838年には35万1332人になり、2万5070人も増えているのだ。

飢饉の風評に便乗した藩当局が、幕府に過大な被害届けを出したのではないかというのがもっとも有力な解釈らしいが、天明の飢饉の少し前に、南部藩は幕府に7万両の上納金を仰せつけられて、財政危機に陥りかけていたという裏話があるのだ。

このままでは財政破綻するため、当分は上納金を仰せつけられないように予防線を張ったのである。
この時期に領内の商人の生活が特に混乱した様子もないということなので、過大な被害届けがますます真実味を帯びてくる。

最大の被害者だったという南部藩がこういうありさまだから、他の藩はどうだったかわからない。

 以上、「世直し大江戸学」著者石川英輔(NHKカルチャーラジオテキスト)から引用










アシュケナ人(9/15話)http://www.heiseituusinn.com/pg79.html
カザール人
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%91%E7%B4%84%E3%81%AE%E7%AE%B1
パシュトゥーン人

http://wkp.fresheye.com/wikipedia/%E3%83%91%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%88%E3%82%A5%E3%83%BC%E3%83%B3%E4%BA%BA

スファラデイ ユダヤ人・・・純粋なユダヤ
コロンブス、チェゲバラ