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        岸信介と賀屋興宣(天下り元締め七夕会)

          ニューヨークタイムズの記事
日本では政官財癒 着スキャンダルが露呈するたびに関係者の暗殺が行われ、数々の不審点や況証拠がありながらも、’謎の自殺’と報じられ 官僚利権に触れることのないよう報道が自粛されることは先進国としては極めて異例である。

小泉首相がもし本心より、事実上の言論弾圧である石井議員暗殺に怒りを感じているのなら、野党 であろうが民主党と協力し’アマクダリ’を斡旋収賄罪とみなし規制強化を行い、自民党員や官僚、特に司法官僚と組織暴力 団や国粋右翼グループとの関係を即刻清算すべきであろう。 」(ニューヨークタイムズ)


        岸信介賀屋興宣天下り元締め七夕会)
             清和と天下りの関連性『CIA秘録(上)』

東条英機ら死刑判決を受けた7名のA級戦犯の刑が執行されたその翌日、岸は児玉らとともに釈放される。 釈放後岸は、CIAの援助とともに、支配政党のトップに座り、日本の首相の座までのぼりつめるのである。》(p.178)

岸先生も官僚出身で東大  

岸信介は日本に台頭する保守派の指導者になった。国会議員に選出されて四年も経たないうちに、国会内での最大勢力を支配するようになる。

そしていったん権力を握ると、半世紀近く続く政権党を築いていった。》(p.178)

《他にも岸と同じ道をたどったものがいた。戦時内閣の大蔵大臣を務めていた賀屋興宣である。戦犯として有罪となり、終身刑の判決を受けていた。

     暴力団・恐喝屋 闇の勢力4万人と清和会

清和のルーツ岸信介
東京帝国大学 法学部

北 一輝に強い影響を受ける

農商務省

軍・財・官界に跨る広範な人脈を築き、満州国の5人の大物「弐キ参スケ」の1人に数えられた。

東条内閣で岸は軍需次官(無任所国務相兼務)に就任

戦後A級戦犯容疑者として逮捕

1952年(昭和27年)公職追放解除
(このあたりからCIAの支援を受け始めたと推測)

つまり戦前はお国のために死んで来いで、戦後はCIAの協力者

60年安保の時には、闇の勢力4万人(博徒暴力団、恐喝屋、テキヤ、暗黒街のリーダー達)をまとめる

弟の佐藤栄作の時と同じく、ライバルはつぎつぎに偶然に死去などする

清和会のルーツで、赤字国債を田中の反対を押し切って発行し始めた福田父や森(岸に引き立ててもらったので今日があると、恩を忘れない)小泉さんなどのルーツ

いわゆる外資族と呼ばれる集団で、外資化した経団連のもっとも支援する対象


岸信介イズム(清和会イズム)とは日本は米国の支配下にあるという考え方
田中派と仲が悪いんでないの?

冷戦の激化に伴いアメリカの対日政策が大きく転換(逆コース)。日本を「共産主義に対する防波堤」と位置づけ、旧体制側の人物を復権させたため、戦犯不起訴となる

岸がCIAから資金提供を受けていたという記事が掲載された。文春では『LEGACY of ASHES The History of the CIA』の紹介がなされている。翌年に文藝春秋で訳が出版された。

岸信介はCIAの助けで日本の首相になり、支配政党の首領になった」 
 
 ニューヨーク・タイムズ紙のピュリッツアー賞受賞記者、ティム・ワイナー氏の近著、作、『灰の遺産 CIAの歴史』